いま、散歩に行ってきたんだけど、「こりゃ、おわんないわ」と思った。なにが終わらないかというと、ヘビメタ騒音の雰囲気がおわらない。おわらない。
ずっとくるしいままだったんだな。
ほんとうに、きちがいヘビメタが鳴っている日の崩壊度がすごいのである。あんなの、どうやって、こころの傷をふさごうとしても、次から次へと、こころの傷があいてしまう状態だ。どうやったって、むだなんだよ。あのきちがい兄貴の、あの態度で、鳴らされていたら、もう、だめなんだよ。学校から帰ってきたあと、午後一一時一〇分までだろうが、だめなんだよ。一〇時台の音が、ほんのちょっとさがったとしても、だめなんだよ。午後四時からの、蓄積がある。ほんとうに、宿題ができない状態のなに……どれだけがんばっても、まったく考えがまとまらない状態なのに……みんな、ヘビメタ騒音が鳴ってたって宿題ぐらい(やろうと思えば)できるという考え方なんだよ。そういう考え方をもっている。けど、できない。もう、あのころからおなじったんだな。小学六年生のあのころからおなじだったんだな。ふさがるわけがない。俺があの音のなかで、どういう状態だったか、だれも知らない。俺だけが知っている。だから、認知に差ができるわけ。
ともかく、終わらない。終わらない。 そんでまた、中学三年生のときの気分が、並じゃないのである。
これ、きちがいだから「やってないつもりで」頑固に、やり続けたわけだけど……きちがい兄貴が、頑固に鳴らし続けたわけだけど、こたえた。
あのときの不安のままなんだよ。あのときの不安のままなんだよ。
ほんとうに、くるしかった。きちがいヘビメタ騒音の「不安」が形容しがたい。
並じゃない。
どれだけ形容したって、ほかの人には、わからない。やられてないから……。長期間、毎日毎日、やられてないからわからない。どれだけつもるかわからな。つもったらどういう気持になるのか、わからない。わからない。わからない。
「楽しい楽しいと言って、自分のゴキゲンをとればいい」……こういう言葉が、どれだけ空虚にひびくか、空虚にひびかない人には、まったくわからない。この人たちが、苦労したと言っても、そういうレベルの苦労なんだよ。
* * *
ともかく、これは、終わらない。たぶん、俺は、死ぬまでこのままだ。ヘビメタ騒音でくるしいままだ。