よその人が言っているたてまえのキレイごとがものすごく、条件の悪い人をおいつめるんだよ。特に、異常な家族のもとにうまれた人のことを、傷つける。でっ、どういうふうに、傷つけるのかは、記述しておく必要があるんだよ。どうしてかというと、まったく、傷つけるつもりがないからだ。一見、正しいことを言っている。けど、その一見正しいことが、まちがっているのである。トラップがある。トッリクがある。きれいごとを言っている人は、特に、悪意があるわけではないのだけど、必然的に、傷つけるんだよ。これ、相手を自殺に追い込むような行為なんだよ。けど、「よその人」というのは、いいことを言っているつもりなんだよ。たとえば、自己責任論だ。ぼくが、ただの愚痴で自己責任論を批判していると思っているみたいだけど、ちがう。自己責任論には問題がある。努力論や言霊的な助言にも、問題がある。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というような思霊的な助言にも、問題がある。「明るいことを考えれば明るいことが起こる」というようなことを言う人が、そこまで考えているかというと、考えていない。トリックがあるんだよ。一見よさそうに思えるかもしれないけど、すくなくても言っているほうは、いいことを言っていると思っていると思うけど、これ、実際には、うまくいかないんだよ。ぼくがいままで言ってきたことは、防止のために言っているわけ。よその人にはわからない条件をかかえている人は、よその人に、おいつめられていく。だから、誤謬があるということを説明しているわけ。ここでは、もう、説明しないけど、ずっと書いてきたことだ。言霊、思霊、ひきよせ、XをすればYになるというライフハック的な方法……こういったものが、条件の悪い人を、追いつめるのである。もちろん、言霊、思霊、ひきよせ、XをすればYになるというライフハック的な方法……こういったものが正しいと思っている人は、善意で助言しているだけで、追いつめるとは思っていない。そして、条件を考えてないから、条件が悪いと、そもそも、その助言のとおりにはできないし、かりにやったとしても、マイナスの効果しかないということがわかってない。
特に、自己責任論は、こまっている人の気持ちをへしおる。なんで、やったやつより、やられたやつのほうが悪いと、最初から決めつけるんだ? なんで、その個別の事柄にかんして、無頓着なんだ。個別の事柄は、個別の事柄なんだよ。個別の出来事は、個別の出来事なんだよ。事柄に関係なく、出来事に関係なく、やられたやつの責任だと最初から決めつけてしまってはいけないんだよ。こまっている人を、さらにこまらせて、人助けをした、正しいことをしたと思い込んでいるだけなんだよ。条件を考えないで、事柄の個別性を考えないで、出来事の個別性の考えないで、最初から、やられたほうが悪いと決めつける態度は、よくないよ。よくないおこないをしている。
これは、言っておかなければならないことなのである。説明できる人が説明しなければ、ずっとこのままだ。