まあ、どれだけ言ってもむだかとは思うけど、自己責任論者というのは、神から遠いところにいる。良心がマヒしている。良心をとりもどしてほしい。
加害者側企業の社長と、被害者がいるとする。責任を追及するとか、追及しないということに対して、部外者の人がとれる態度は、いくつかある。
(1)両者の責任を追及しない。
(2)両者の責任を追及する。
(3)加害者の責任を追及する。
(4)被害者の責任を追及する。
(5)そのようなことが起こってしまったということについて、自分の責任を追及する。
自己責任論者というのは、かならず、(4)を選択する。(5)を選択しない。こんなの、おかしい。(3)なら、まだわかるけど、自己責任論者は、かならず、(4)を選択する。完全に倒錯している。
やられたやつとやったやつ。
行為の責任を問うなら、やったやつの責任を問うべきだ。
ところが、かならず、やられたやつのほうの責任を問うことにしているのである。しかも、それが正義だと思っているのである。それが正しい行いだと思っているのである。やられたほうを、「理由の如何を問わず」せめる……。こんなことをして、正しいことをしたと思っている。こんなのはない。
やられたやつがやられたのは、なんらかの落ち度があるからだと、勝手に思ってしまうのである。やられたのだから、なにか、落ち度があるにちがいない……。こう思ってしまう。けど、やったほうの落ち度は、一切合切問題にしないのである。こういう、かたよりがある。