しかし、どうするかな? 長期ヘビメタ騒音の影響で、だいぶ、「人生」を損したんだよな。修復不可能だ。俺は、長期騒音のなかで、できるだけのことはしてきた。しかし、長期ヘビメタ騒音のなかで、できるだけのことをするということは、自分の精神と、自分の身体と、自分の能力を、けずることになる。だめにすることになる。不可避的にそうなる。みんな、ヘビメタ騒音生活というものがわかってない。ヘビメタ騒音生活というものが、どういうものなのか、みんな、わかってない。どうにかしようとして、がんばること自体が、次の問題をうみだすのだ。どうにかしようとしてがんばると、次々に名誉をうしない、次々に能力をうしなうことになるのだ。騒音と言えば、騒音だということがわかるけど、騒音生活というものが、実際に経験した人じゃないわからない。どういうことになるのか、わからない。「関係がない」と言ってしまうやつは、ほんとうに、ぶんなぐってやりたい。ちなみに、「過去は関係がない」と言うやつも、ぶんなぐってやりたい。そりゃ、おまえには、俺のヘビメタ騒音生活は関係がないことだけど、俺には関係があるのだ。もちろん、ぶんなぐりたいからといって、ぶんなぐったりはしない。そんなことをするわけがない。けど、「関係がない」とか「過去は関係がない」とかというやつには、腹がたつ。ぶんなぐってやりたいほど腹がたつ。たとえ、その人が、ほかのところでいい人であったとしても、たとえ、その人のほうが俺より、その場所で立場が上の人であったしても、ぶんなぐってやりたい気持ちになる。きちがいヘビメタ騒音を鳴らしたきちがい兄貴が、俺という存在や、俺の立場を無視して、やってきた時間が長すぎる。きちがい兄貴の感覚は、ほかの人には、理解できない感覚だ。きちがい兄貴本人がまったく理解してないしな。きちがい兄貴本人がまったく理解してないと、きちがい兄貴が、きちがい的な意地でやったことなのに、まったく、関係がない人になってしまうのだ。きちがい兄貴本人がまったく理解してないと、きちがい兄貴が、きちがい的な意地でやったことなのに、まったく、やってないと思ってしまうのだ。きちがい的な意地てやっていることを、まったくやってないと思って、くらしている。まったくやってないという態度で暮らしている。「やめてくれ」とこっちが言えば、きちがい親父のように発狂して、きちがい親父のように頑固にやり続けるのに、やってないつもりなのだ。こんなの、ほかの人にわかるわけがない。だから、ほかの人は、こういう特殊な家族と一緒に住んだことがないので、こういう特殊な家族の態度や感覚がわからない。それは、実際に、「やられない」ということを意味しているから、こういう特殊な家族にやられたこともないのだ。なので、やられたことがないので、やられた場合、どういうことになるのか、普通の人は、まったくわかってないということになる。
ちなみに、「関係がない」というのは、「ヘビメタ騒音が鳴っていたとしても、そんなのは関係がない」という意味だ。ところが、関係があるんだよね。ヘビメタ騒音でほんとうに、十数年間毎日、苦労してきたのに、「関係がない」と言われたら、腹がたつだろ。しかも、きちがい家族と一緒に暮らしたことがないから、きちがい家族の、きちがい行為がどれだけ(こっちの)生活に影響をあたえるか、まったくわかってないやつが、そういうふうに言うのだ。腹、たつだろ。 きちがい家族と一緒に暮らしたことがないから、きちがい家族の、きちがい行為がどれだけ(こっちの)能力をけずるか、まったくわかってないやつが、そういうふうに言うのだ。腹、たつだろ。
「関係がない」と言って、ヘビメタ騒音の影響を、全否定しているんだぞ。俺が、ヘビメタ騒音が鳴っている部屋で、どんな気持ちで生活らて来たと思っているんだ。それが、睡眠や体力や能力にどれだけの影響をあたえてきたと思っているんだ。きちがい兄貴の、きちがい的な感覚が、どれだけ腹だたしいものか、ぜんぜんわかってない。全否定してくるな!