それじゃあ、どうして、言霊主義者は、言葉には、言霊と呼ばれる力が宿っていると感じることことができるのかということについてちょっとだけ、言っておこう。これは、ようするに、幼稚だからそう思っているだけなのだ。だれにでも、幼児的万能感は残っている。濃さはちがうけど、残っている。だから、特別に、言霊主義者が言っていることがおかしいとは感じないのが、普通だ。言ったことが現実化する……これが正しい……と思っている人は、多い。
たとえば、言霊主義者が、「明日は雨がふる」と言ったとしよう。そして、晴れたとする。その場合は、言霊主義者は、「明日は雨がふる」と言ったのに、晴れたということを、無視するのである。気にもとめない。ところが、言霊主義者が、「明日は雨がふる」と言ったあと、雨がふったら、それは、記憶に残すのである。だから、言霊主義者のなかでは、いつも、「言ったことが現実化している」ということになるのである。
言霊主義者は、「だいたい思考」をしている。ところが、「言ったことが現実化する」と文は、「すべての言ったことが、かならず現実化する」という意味になってしまうのである。「言ったことが現実化するときもあるけど、言ったことが現実化しないこともある」……こういう意味ではないのである。 「言ったことが現実化する」ということを「言ったことが現実化するときもあるけど、言ったことが現実化しないこともある」という意味で言ってしまうのは、そもそもが、まちがいなのである。 「言ったことが現実化する」という文のなかに「言ったことが現実化しない場合もある」ということを、ふくめることはできない。どうやってたって、できないのだ。けど、言霊主義者は、「言ったことが現実化するときもあるけど、言ったことが現実化しないこともある」という意味を込めて、「言ったことが現実化する」と言ってしまう。これが、本人が意識できない、誤謬だ。こういう感覚で、ものを言っているので、自分が自分にトリックをしかけたことに、気がつかない。これ、トリックなんだよ。
言ったことが、あたった?場合は、記憶に残し、言ったことがはずれた場合は、記憶から消去してしまう。そして、「だいたい、言ったことが現実化しているので、言ったことが現実化するというのは、真実だ」と思ってしまう。これが、言霊主義者がやっていることだ。頭のなかで、こういうことをしているから、「言ったことが、現実化する」「これが真実だ」と思ってしまう。けど、まちがっている。