日曜日の午後六時二八分なんて、鳴っている感じしかしない。きちがい親父の「へんな防止」といのは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音とおなじなんだよな。みんなに、ぼくがバカにされるようことをする。「へんだ」ということを絶対に認めない。
きちがい親父が、へんなベレー帽をもらってきたときがあるんだよ。ぼくが七歳のときなんだけど。それで、自分が、ゲットしたから、おおいばりなんだよ。
ようするに、ほかの人から、ほかの人がいらなくなった子供用のベレー帽をもらったんだけど、それが、親父にとっては、すごいお手柄であるわけ。
で、それは、だれもかぶってないへんな防止だったんだよ。で、もらってきてやったから、こどもがよろこんでかぶると思っていたのだろう。
で、正月の元旦に、親戚のうちに行くとき、その帽子をかぶれときちがいおやじが言って、ぼくが、「いやだ」と言って、もめたんだよ。これも、当時七歳ぐらいだから、俺が親父を殺すわけにはいかないのだけど、からだがおおきかったら、殺すとか殺されるというような問題なんだよ。
そういう緊張度と意地がある。
死にものぐるいなんだよ。
これが、ほかの人にはわからない。きちがい親父が、どれだけ発狂するかわかってない。この、きちがい親父がきちがい的なことを言っているときの「意地」が、ほかの人にはわからないのである。
こどもが、「いやだ」と言ったら、それで引きさがってくれるような親ではないのである。
いのちがかかっているのである。
そのときはそのときで、こどもに、自分がもらってきたベレー帽を、かぶらせることにいのちがかかっている。きちがい親父のほうが、まず最初に、発狂するんだからな。ここのところをまちがえるな。
よその人は、こういうところもまちがった認識をするんだよな。親父が自分勝手で、思い通りにならなかったら、発狂している。きちがい親父の思いつきで、こういうことになってしまうことが、多いんだよ。
そりゃ、いっしょに住んでいたら、一日に何回も何回も、そういうことが起こるんだよ。きちがいだからなぁ。
そして、きちがいが、自分の思ったとおりにならないと、爆発して爆発して爆発して爆発して爆発して爆発して爆発して爆発して、怒り狂って、怒り狂って、とまらない状態になる。
でっ、正月に、そのへんな帽子をかぶらされて、外に出ると、それを見た近所の友達が、「エイリ君が、正月に、へんな帽子をかぶっていた」と言うわけだよ。「へんな帽子、かぶってた」「へんな帽子、かぶってた」というわけ。
その場合、ぼくは恥をかくわけだけど、親父はそんなことは、気にない。
へんな帽子をかぶらされたから、「恥をかいただろ」ということを言ったって、そんなのは、認めないのだ。「へんな帽子である」ということを、最後の最後まで認めない。「かぶれ」「かぶらない」で、大喧嘩だよ。
言うことをきかない子は、「おばあちゃんちにつれてかない」と言うわけだよ。おばあちゃんちに行くことが、いいことだとしても、へんな帽子をかぶることは、めちゃくちゃに、悪いことなので、いいことと、悪いことの度合いの差を考えると、「それなら、おばあちゃんちに行かなくたっていい」という気持ちになる。
正直言って、きちがい親父と行動するのは、非常にいやなことなので、親戚のうちに行くことも、本当は、いやでいやでしかたがないことだった。帽子の件をぬいても、きちがい親父と一緒にどこかに行くということは、死にたくなるほど憂鬱なことなのである。
で、正月の朝から、大喧嘩だよ。「子供がわがままを言っている」と、常識的な人は考えてしまうわけ。常識的な人の考えというのは、そういうレベルなんだよ。
もう、これも、ヘビメタ騒音と、無職の関係にそのまま、おとせるんだよなぁ。ヘビメタに関して言うと、きちがい兄貴が、へんなことをしているわけ。きちがい兄貴の主張がまちがっているわけ。
けど、よその人は、それがわからないまま、とりあえず、目の前の無職である成年をせめるわけ。「そんなんじゃ、だめじゃないか」とせめるわけ。
それも、ヘビメタ騒音で通勤できなくなったと、俺が説明したあとの話だ。これ、ヘビメタ騒音で通勤ができなくなるということが、よその人には、かーーんぜんに、わからないわけ。
けど、そのよその人だって、俺とおなじように、一一歳から毎日、きちがい兄貴の態度で、きちがいヘビメタを毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も聞かされ続けたら、睡眠回路が破壊されて、どれだけがんばっても、一定の時間に通勤できなくなるんだよ。
けど、よその人には、そういうことがないわけ。
どうしてかというと、きちがい家族がいないから。きちがい家族がいないから、たまたま、そういうことを経験してないだけなのに、よその人が、そこらへんを勘違いして、威張る。
わかったようなことを言う。