きちがい兄貴はきちがい兄貴だから、よそにはいないんだよ。無意識的なレベルで感覚器を書き換えて、でかい音で鳴らしてないと、意識的なレベルでは思っている、きちがなんて、そんなにいるわけがない。
そうなると、よその人は、実際に鳴らされてないから、実際に鳴らされた場合のことが、わからない。
自分の体験としては、わからない。
自分の人生のなかでそういう体験をしたことがないということになる。
もちろん、普通に暮らしていれば、ちょっとは騒音がある。
ぼくは、でかい幼稚園の横に住んでいるから、きちがい兄貴が鳴らすまえから、ずっと、普通の人よりは、騒音にさらされている。
だから、普通の人が経験する騒音や、幼稚園や学校があり、普通の人よりも、でかい騒音を経験する人が経験する騒音のことは、知っている。自分のからだで知っている。
きちがいヘビメタ騒音……異次元の騒音だよ。だれひとり、ぼく以外の人は、至近距離……兄貴のスピーカーに一番近い距離で、異次元の騒音を経験した人がいないんだよ。
兄貴のスピーカーに一番近いのは兄貴だけど、実際には、兄貴の普段の立ち位置と、ぼくの部屋の兄貴側の壁の近くと、どっちがスピーカーに近いかといえば、ぼくの部屋の兄貴側の壁の近くのほうが、スピーカーに近い。
そして、床がつながっているので、固体振動がくるのである。これは、感じてないようで、常に感じているということになる。これが、眠れない状態に影響をあたえる。
だから、「眠れない」と思っているから、眠れないのではなくて、きちがいヘビメタを長時間、聞かされたから、眠れないのだ。それにプラスして、固体振動が影響をあたえているから、眠れないのだ。床が音に合わせて、微妙に振動しているわけだから、気にしないようにしても、実際には、影響をうける。
きちがいヘビメタを長時間聞かされたら、眠れなくなるということを学習するわけだけど、それは、きちがいヘビメタが鳴ったあとのことなんだよ。ヘビメタ騒音という『条件』を無視して、「眠れないと思っているから眠れない」と俺のことをせめるのは、的外れなんだよ。
きちがい家族による、めちゃくちゃなヘビメタ騒音が鳴っている(鳴っていた)という条件を無視して「眠れると言えば眠れる」と言うのは、不適切なことなんだよ。
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固体伝搬音も、もちろんあるのだけど、ぼくが「固体振動」という言葉で表現したものは、振動、そのものだ。たしかに振動があると感じていなくても、からだは、振動を感じている。
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潜在意識と言うのであれば、長時間つづく、微細な振動に関する潜在意識を問題にするべきだ。一回でも、「はずれろ」と思ったら、そのあとずっとはずし続けるという「呪いのような潜在意識」ではなくて、長時間、ずっと続いたことを問題にするべきだ。実際には、「呪いのような潜在意識」というのは、効力を発揮しないのである。
だから、「はずれろ」と思ったことがある人でも、自分がその影響をずっと受け続けるということがないのである。話のなかで、それらしく語られているので、そういうことがあるのだなと思っているだけだ。相手がボールを打ったとき、「はずれろ」と思った人が、自分のボールを一〇〇%の確率で、はずすわけではない。「はずれろ」と思った人のうち、一〇〇%の人が、はずすわけではない。「呪いのような潜在意識」について語る人が、「はずれろ」と思った人のうち、一〇〇%の人が、一〇〇%の確率でボールをはずすようになるという前提で、語っているだけなのである。プロのなかでも、長い間、トップのプロであったようなプロゴルファーが、「はずれろ」と思わないようにしているということについて、「呪いのような潜在意識」について、特別に注意をはらっている人が、説明したので、聴いた人は、「そういうことがあるのかな」「そういうことがあるんだろう」と思ってしまうのである。その場合、聴いた人の注意は、「はずれろ」と思うかどうかに、集中してしまう。しかし、実際には、「はずれろ」と思ったことが一度でもあるかどうかということではなくて、「才能」や「環境」が、結果を決めている。才能という条件、そのスポーツを小さいときから練習できたのかどうかという条件を、無視してまう。条件には、注意をはらわなくなってしまう。条件には、注意をはらわない思考をしてしまう。