2024年4月6日土曜日

社会的な不幸の量を増大させているのは、加害者のほうであって、被害者のほうではない

 たとえば、水銀で水俣病になった人が、「くるしい」と言ったとする。この場合、「くるしい」と言うことは、愚痴を言ったことになると判断する人たちがいる。けど、愚痴かどうかは、わからない。あるいは、水銀で水俣病になった人が、「企業の無責任な対応に腹がたつ」と言ったとしよう。この場合、「くるしい」と言うことは、不満を言ったことになると判断する人たちがいる。けど、不満を言ったのかどうかわからない。問題なのは、「愚痴」と判断されることを言うことで、社会の全体的な不幸度が増すのかどうかだ。あるいは、社会の全体的な不幸の量が増すのかどうかだ。もうすでに、その人にとっては、不幸なことが起きているのである。そして、この場合は、加害者がいることなのである。不幸になる原因をつくったものがいることなのである。ようするに、そういう構造……が成り立っているのであれば、社会的な不幸の量を増大させているのは、加害者のほうであって、被害者のほうではないのではないかということだ。被害者のほうが、くるしいと言った場合、愚痴を言われたと感じる人たちがいる。この人たちは、愚痴を言われたと感じたのだから、自分のなかでは不幸の量が増えたということになるのである。けど、考えなければならない社会的な問題について告発してくれたと考える人は、別に、不幸の量が増えたとは感じない。むしろ、シャイ的な問題について告発してくれたことで、不幸の量を減らすきっかけをくれたと思うのである。

それから、これは、ちょっと横道にそれるのだけど、「すべては受け止め方の問題だ」というようなことを言う人たちがいる。ぼくは、「すべては受け止め方の問題だとは言えない」と考えているのだけど、ともかく、「すべては受け止め方の問題だ」と言い切る人たちがいる。もし、この人たちが、「愚痴を言う人がいると、社会全体の不幸の量が増す」と言うのであれば、「それこそ、自分の受け止め方をかえて、愚痴を言われたと思わなければいい」と、ぼくはこの人たち言ってやりたくなる。「愚痴を言われた」と思わずに、「社会の不幸量を減らす、いいきっかけをくれた」と思えばよいのである。「すべては受け止め方の問題」なのだから、そうなる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。