たとえばの話なのだけど、水俣病の被害者に「すべてはおたがいさま」と言うのは、よくないことなのである。そうやって、やられている人を追い込むのはよくないことなのである。そうやって、こまった立場にいる人を「あおる」のはよくないことなのである。
けど、「すべてはおたがいさま」と言う人は、そういうことがわかってない。すべてはおたがいさま」と言う人は、「おたがいさま」なので、がまんすればいい。「おたがいさま」なので、企業に文句を言うべきではないということを言っているのである。こんなことを、言う人がいい人であるはずがない。
たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、「すべてはおたがいさまだ」と考えている人だ。ある日、Bさんが政治について意見を述べたとする。
それを、Aさんが、Bさんが愚痴を言ったと認識したとする。Bさんが愚痴を言ったと認識したAさんが、Bさんに「愚痴を言うな」と言ったとする。Aさんは、Bさんの話に不愉快なものを感じたので、そういうふうに言ったのだ。
けど、Aさんは、普段から「すべてはおたがいさま」と言っているのだから、もちろん、Bさんに「愚痴を言うな」と言うべきではない。
だって、すべてはおたがいさまなんでしょ。愚痴を言ったって、愚痴を言われたって、おたがいさまなんでしょ。自分だって、愚痴を言うことがあるから、人が愚痴を言ったって、おたがいさまだから、そんなのは、気にしないのじゃないの?
あるいは、自分がなにか人に、迷惑をかけたことがあるから、人が自分に迷惑をかけても、おたがいさまなんでしょ。Bさんが愚痴を言ったのか、愚痴を言わなかったのか、わからないけど、ともかく、Aさんは、Bさんが自分に愚痴を言ってきた認識したわけ。
これは、Bさんが自分(Aさん)に、迷惑行為をしたと自分(Aさん)が認識したということだ。自分だって、人に迷惑をかけたことがあるのだから、Bさんが、自分に迷惑をかけても、おたがいさまでしょ。
おたがいさまだったらいいんでしょ。
おたがいさまだったら、やられたほう(なにか不愉快と感じることをやられたほう)が、相手をゆるしてあげればいいんじゃないの。
どうして、それこそ、他人事なら(やられたほう)が相手をゆるすべきだと考えて、自分のことだと、相手をゆるさずに、文句を言うのか? ゆるさずに、「なになにするな」と言いかえすのか?
ひとごとだと、「そんなのは、おたがいさまだからゆるすべきだ」とやられたほうを批判して、自分のことだと、ゆるさずに、相手を攻撃するのだ。ゆるしてあげればいいんじゃないの。「すべてはおたがいさま」なんでしょう。おたがいさまなのだから、ゆるすべないのではないか?
問題なのは、そういう人が、『自分のこと』と『ひとごと』で意見をかえてることに、気がついてないことなのである。本人がまったく気がついてない。矛盾しているとは思ってない。
ちなみに、ぼくは「すべてはおたがいさまだ」とは思ってない。思ってないので、その点に関しては、矛盾がない。「すべて」がおたがいさまであるはずがない。程度がある。条件がある。「どうして、条件を無視したことを言うのかな」と思っているよ。程度というのは、条件の中に含まれている。
「すべてはおたがいさま」と言って、ひどい目にあっている人に、圧力をかけるのはよくなことなのである。善行ではなくて悪行。部分的なことを切りだして、「すべてはおたがいさま」というような考え方を流行させようとすることは、悪いことなのである。善行ではなくて悪行。
「おだがいさま」ですむことは、存在するとは思うけど、その場合は、両者において、「おたがいさま」ですむような「ささいなことだ」という共通の認識がなければだめなのである。いっぽうが「おたがいさまですむようなささいなことだ」という認識をもっていても、だめなのである。
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ちなみに、すべてではないけど、ある部分では、「ささいなことだ」という認知と「おたがいさまだ」という認知では、どっちがさきなのかということを考えると、「ささいなことだ」という認知のほうがさきなのである。「ささいなことだから」「おたがいさまですまそう」と考えるのである。
「おたがいさまだから」「ささいなことだ」とは考えていないのである。
まず、「ささいなことだ」という認識があって、「ささいなことだから」「おたがいさまだと思っているのである。ささいなことと重要なことはちがうのである。「ささいなこと」→「おたがいさま」→「ゆるす」という思考の流れがある。「おたがいさま」→「ささいなこと」→「ゆする」という思考の流れではないのである。
しかし、「すべてはおたがいさま」と言っている人は、ひとごとである場合は、「おたがいさま」→「ささいなこと」→「ゆする」という思考をしてしまうのである。ようするに、「すべてはおたがいさま」と言っている人のなかでは、「ひとごと」なら、すべてが、「ささいなこと」なのである。