2024年4月2日火曜日

よその家のやつらは、やられているほうを、悪く言って、やられているほうをせめる

 アンテナの工事だって、ぼくが、してあげて、「もう今日は終わり」「もう、今日は、つかれはてたから休ませて」と言ったら、それで、「ああそうか」と言って引きさがってくれれば、それですむんだよ。これ、いちおう、共同作業でやったんだけど、配線とかアンテナは、全部、俺が用意した。一階の部屋用に、分配器をつけて、二本、ちゃんと、全部のチャンネルを受信できるようにした。これは、アンテナの性能がよかったから、ブースターじゃなくて、分配器ですんだ。でっ、ぼくの部屋のほうを、親父関係なして、「二、三日後に、俺がやる」と俺が言ったんだよね。普通ならそれでおしまいなんだけど、「お礼がしたい」「お礼がしたい」「お礼がしたい」「お礼がしたい」と言い出して、聞かない状態になる。こんな大人、いない。ちゃんとやってやった息子のほうが「休ませてくれ」と言っているのだから、日本語が通じる普通の親だったら「そうか」と言って、それで引きさがる。それで問題が起きない。ところが、きちがい親父は、きちがい親父だから、自分の気持ちしかないんだよ。俺が、つかれているというのは、俺がどれだけ「つかれている」と言っても、耳にはらないんだよ。まったく理解しないんだよ。これ、関係ないように見えるけど、きちがい兄貴もおなじなんだよ。兄貴も、自分が「でかい音で鳴らしたい」という気持しかないから、俺がどれだけ「こまるかやめてくれ」「テストだからやめてくれ」と言っても、まったく耳に入らない。俺が何十回言っても、そのたびに、怒り狂ってもめても、怒り狂ってもめた一秒後には、もう、「一回も言わなかった」ということになっているんだよ。相手は、なにも言ってこなかったという認識になってしまう。自分の気持ちしかないから、相手が、何回、はっきりと、どなって言っても、無視してしまう。無視して、自分の気持ちのほうを、優先してしまう。相手が言ったことは、ほんとうに、「悪意なく」耳に入ってない状態になるんだよ。ごく自然にそうなってしまう。だから、相手が何回否定しても、否定された気持ちにならないんだよ。自分の耳に入ってこない。自分の気持ちの中に入ってこない。自分脳みそにはいっこない。自分の気持ちしかないから、相手が言っていることを無視して、自分の気持ち通りのことをやったり、自分の気持ち通りのことを言ったりする。兄貴も親父もうなじなの。どっちも、きちがいレベルでそういうところがあるんだよ。でっ、きちがい親父の話にもどすけど、「つかれているからいやだ」と言ったんだけど、きちがい親父が「今日、やろう」「いますぐやろう」と言ってきかなかった。で、しかたがないから、おれて、やることにした。言っておくけど、親父は、俺に、この時点で迷惑をかけているわけで、助けてくれたわけじゃない。親父が助けてくれるというか……俺に対してお礼をしたいのであれば、相手が言っていることを認めて、やすませてやるということをしなければならない。お礼どころか、負担をかけている。あたらしく、俺が親父の世話をしてやなければならなくなる。俺が、親父のやりたいことにつきあわなければならなくなる。それだったら、俺に対するお礼になってない。けど、こういうことが、まったくわからない人間なんだよ。こんなの、幼児だって、わかることだ。普通の人なら、幼児でも、「相手が、やすみたいんだな」ということがわかる。けど、親父は、どれだけぼくが激しく言っても、わからない。まったくわからない。だから、「うちだって、ちゃんとやれるぞ」「親父とだって、共同作業ができるぞ」と思って、やると、かならず、俺がひどい目にあわされるんだよ。この、脳みその問題だから、なおらない。きちがい親父の相手にしている限り、普通にいくということがないんだよ。普通に作業が進行するということが、ないんだよ。絶望的にないの。どれだけ気を取り直して、普通にやろうとしても、だめなんだよ。それは、ぼくが、幼児のときからそうなんだよ。こんなの、幼児のほうが、自分の気持ちだけで動いて、それに、親ができるだけあわせてやるというのが、普通のうちで、発生することだ。これ、きちがい親父が、大人なのに、幼児以下なのである。ほんとうに、頭がおかしい。頭が病気。絶対に、理解しない。その頑固さというか、わからなさというのが、これまた、この話とは関係がないけど、兄貴のヘビメタ騒音とおなじなんだよ。兄貴も、親父とおなじ頭のつくりをしているから、こっちが、「あにきのおと」でこまっているいるということを、兄貴は(きちがい親父のやり方とまったくおなじやり方で)認めないんだよ。認めなければ、どれだけやったって、やったことになってないんだよ。やった自覚なんて、まったくないまま、生きている。やった自覚なんて、まったくないまま、生活している。『自分が、、相手を騒音でこまらせている』ということが、一〇万回言われたって、まったくまったくわかってない状態で、生活しているんだよ。兄貴の頭のほうの問題なのに、よその人は、俺の説明が悪いから兄貴がわからないだけだというような解釈をしてしまうのである。きちがい兄貴といっしょにすごしたことがないから、兄貴がそういう頭の搭載しているということが、経験をとおしてわかってないから、「俺だったら、兄貴を説得してしずかにさせることができる」と考えてしまう。仮定してしまう。そう、決めつけてしまう。だから、そういう前提で、人を見下して……つまり俺を見下して……「よそさまとしては、普通の提案だけど、実情がまったくわかってない提案」をしてしまうのである。

そして、毎回毎回、そういうことで、俺が親父や兄貴にこまらされているのに、俺が、親父や兄貴の悪口を言っていると……思う、くそ凡人までいる。これ、どういうことなのか、くそ凡人はまったくわかってないのである。こんなの、ない。脳みその構造で、きちがい親父が、俺に迷惑をかけているというのは、本当のことなのに、どうして、本当のことを言ってしまってはいけないのか?  脳みその構造で、きちがい兄貴が、俺に迷惑をかけているというのは、本当のことなのに、どうして、本当のことを言ってしまってはいけないのか?

きちがい的な脳みそを搭載している相手に、ずっと毎回、普通のうちではありえないことをされているのに、普通のうちのやつらが、これまた、そういうことがあるということを認めない。いつもいつも、そういう構造なんだよ。きちがいのタイプというのがあって、親父や兄貴のタイプは、よそのうちの人には、まったくわからないタイプのきちがいなんだよ。

なんで、よその家のやつらは、やられているほうを、悪く言って、やられているほうをせめるのか。それじゃまるで、やられてないのに、悪口を言いたいから、悪口を言っているということになる。そんなことじゃないのに……。 

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お坊さんが「あそこは、親と子供が逆なんだよなぁ」と言っていたのだけど、わかる人にはわかるんだよな。けど、お坊さんだって、親父とつきあいがなければわからないんだよ。ぼくの話しか聴いていない人は、親父とつきあいがあるわけじゃないから、わらわからない。お坊さんというのは、親父の葬式をあげるはずの人だったんだけど、当日、別のところをやっていて、親父の葬式には来なかった。そのお坊さんの、息子さんがきた。で、俺は、親父の入院・退院のことだって、ちゃんとやってやってるんだぞ。それなのに、俺があれほど『いやだ』と言った、ことを、墓でやってしまっているのである。葬式の日に、共同墓の石板に、自分の名前が書いてあることを知って、どれだけ、不愉快な気持になったか。「いやだから、やめろ」と言ったことは、かならず、やるんだよな。これも、アンテナ工事とおなじで、自分の気持ちしかないから、そうなってしまう。きちがい親父が、俺が死んだとき、親父やおかあさんとおなじ墓に入れるようにしてやったほうがいいだろう」と思った。俺は、おかあさんとおなじ墓に入ることにはまったく抵抗がないけど、親父とおなじ墓に入るのは、ものすごく抵抗があった。だから、そういうふうに言っているのに、俺が言っていることは、無視して、自分の気持ちを優先してしまう。「やってやるやってる」という場合の話だ。俺がどれだけ、いやがっていても、それがまったくまったくわからないのである。兄貴も、普通の人だったら、兄貴があれだけでかい音で騒音を鳴らすと「こまる」というのが、絶対にわかるはずなんだけど、きちがい親父とおなじタイプの脳みそを搭載しているので、まったく、まったく、まったく、「こまる」というとことが、わからないんだよね。普通の人だったら、言わなくてもわかることが、何万回言っても、わからない。親父と兄貴はそうなんだよ。これは、知能の問題じゃないんだよ。「日本語の理解度」の問題じゃないんだよ。無意識の問題なんだよ。

ともかく、親父と兄貴の頭の構造がおなじなんだよ。だから、おなじように、こっちが言っていることを無視するんだよ。そして、自分の行為で相手がこまっているということは、発狂して、意地になって認めないんだよ。けど、これも、意識のレベルでそうしているのであれば「認めてやらなかった」ということは、意識できるんだよ。けど、無意識のレベルでそうしているから、「認めてやらなかった」ということさえ、まったく意識できない。無視してしまう。かーーんぜんに、ないことになっている。親父や兄貴の頭のなかで、「相手」がこまったということが、まったくない状態なのである。相手がこまっているということは、死んでもわからない状態なのである。

言わないから、わからないのではなくて、どれだけ言っても、わからない。けど、よその人は、これまた、そういうことが、まったくわからないのである。だから、きちがい家族とよその人のあいだにはさまれる。きちがい家族とよその人のあいだにはさまれて、俺が悪く言われる。それは、よその人にとっては、想像できないことだからなぁ。普通の人には想像できない。だから、普通の人は、ごく自然に勘違いして、ものを言ってくる。まちがった前提でものを言ってくるんだよ。「ちゃんと言えばつたわるはずだ」というような前提でものを言ってくる。「ちゃんと言えばつたわる」のだから「ちゃんと言わなかったからダメなんだ」ということになってしまう。「エイリさんが説明下手だから、つたわらないんだ」「自分が説明したらちゃんとつたわる」と、自動的に思ってしまう。そういう前提で俺を見下して、ものを言ってくる。こっちもこっちで、ごく自然にそうなる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。