「Xをすれば、Yになる」というようなタイプの法則性がありそうな文について、ちょっと述べておく。「Xをすれば、Yになる」というようなタイプの文は、その人の属性や相手の認知をまったく無視している。だから、現実的ではない。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは、無職だとする。そうすると、BさんがAさんのことを無職だと認知した場合、Bさんのなかにある無職に対する考え方の総体が、BさんのAさんに対する認知に影響をあたえるのである。
人間として暮らしている以上、そういう、認知の影響なしにAさんを見ることはできないのである。
その場合、Aさんが、どれだけ誠実な人であったとしても、Bさんが「無職者は信用できない」と考えているのであれば、Bさんは、Aさんを信用しないのである。「Xをすれば、Yになる」というようなタイプの文には、Aさんの属性も、Bさんの「属性に対する」考えの総体も、ぜんぜん、出てこない。なので、現実的な話ではないのである。無職だとしても、無職歴一〇年の、まったく働いたことがない無職と、一か月前まで働いていた無職とでは、ちがうと考える人が多いのではないかと思う。「無職」という属性に対する考え方と、無職歴一〇年の、まったく働いたことがない無職という属性に対する考え方と、一か月前まで働いていた無職という属性に対する考え方は、一般にちがうと思う。ようするに、多くの人の頭のなかで、この三つは、おなじものではない。たとえば、Aさんが無職歴一〇年の、まったく働いたことがない無職であった場合のBさんの認知からしょうじるAさんに対する態度と、一か月前まで働いていた無職であった場合のBさんの認知からしょうじるAさんに対する態度は、ちがうのである。さらに、たとえば、Aさんが一か月前まで働いていた企業が超有名な大企業である場合と、Aさんが一か月前まで働いていた企業が零細企業である場合は、また、ちがうのである。さらにまた、Aさんが一か月前まで非正規従業員として働いていたのか、Aさんが一か月前まで正規従業員として働いていたのか、Aさんが一か月前まで、経営者として働いていたのかということは、Bさんの認知に影響をあたえる。こういうことは、Aさんの話のなかに織り込まれていて、Bさんの認知に影響をあたえる。Bさんの認知というのは、「無職」というような大まかな認知ではなくて、もっと細分化された「無職」に対する認知なのだ。だから、「無職」という属性のなかにも、もっと細分化された属性があるということになる。だから、人の行動に影響をあたえる認知が、(対象となる)人全体に対する認知のちがいなのか、詳細化された属性に対する認知のちがいなのかは、わからない。詳細化された属性に対する認知というのは、まあ、経験によって、セットになっている認知なのである。
で、まあ、実際にはだれかがもっている認知セット(偏見)は、だれか他人に関する認知に影響をあたえる。認知に影響をあたえるものは、その人の行動にも影響をあたえる。相手をそういうものだと認知することは、その人の相手に対する行動に影響をあたえる。なので、そういうことをまったく捨象した「Xをすれば、Yになる」というようなタイプの文は、まったく、意味がない。現実はちがうので、現実における意味が、まったく、ない。