態度というものを考えると、きちがい兄貴の態度は、むかつく態度なのである。そりゃ、きちがい的な意地で、こだわってこだわってこだわって、やっているのだけど、本人は「まったくやってないつもり」だからだ。
「やっている」ということは、普通は、言わなくてもわかる。
「でかい音で鳴らしているなら」ほかの人から指摘されなくても、でかい音で鳴らしているということが、耳が正常なら、わかる。言われなくてもわかることが、わからない。どれだけ指摘されてもわからない。
「やってない」つもりのまま、こだわってこだわってこだわって、こだわってこだわってこだわって、毎日毎日、絶対の意地でやって、やめてくれない。
きちがい兄貴のほうは、最初から「やってないつもり」なのである。
そして、どれだけなにを言っても「やってないつもり」がこわれないのである。
そして、「やってないつもりのまま」ずっと、こだわってこだわって、こだわって、こだわりのきちがい的な音で、鳴らすのである。「やっている」。
どこからどう見てもやっている。
ところが、きちがいの頭のなかではちがうのである。普通なら絶対にわかることを無視して、やってしまう。
やられたほうにしてみれば、腹がたつ。この異常な行為に対する、(やられたほうの)異常な腹立ちは、やられた人にしかわからない。
そういうことを、毎日毎日、毎時間毎時間、ふつーーーに、やってしまうきちがいがいる家なんて、めったにない。だから、被害者が少ないのだ。そうなると、ほかの人は、理解しないのである。実際に自分が……そういうことを……やられたことがないので、わからない。