ほんとうに、きちがい家族にやられたことがない人はわからないみたいだな。どれだけ、異常な感覚が成り立っているかわかってない。頭がおかしいから、できることなんだぞ。普通の人は、できない。
だから、普通の人が家族である、普通の人は、自分のこととして経験してない。自分の状態として経験してない。自分の状態として経験していなかったら、どれだけ言われたって「そんなのは、関係がない」と思えることなんだよ。
どれだけ俺が、正確に記述したとしても、「そんなのは、影響がない」と思えることなんだよ。
けど、時間の長さがある。
たえて、たえて、たえた時間の長さがある。その時間の長さ、ぼくは憤まんやるかたない気持ちで、いたんだ。
学校から帰ってくると、おなじことが繰り返されてしまう。毎週日曜日はおなじことが繰り返されてしまう。これ、鳴り終わったあと、どんな気持ちになると思っているんだ。
「鳴り終わったら、関係がない」……本当に、殺してやる炊くなるようなセリフだな。
たえてきた怒りが、一気に爆発する。どれだけ長い時間、たえてきたと思っているだ? たえたから、おかしくなっている。たえたから、症状が出ている。たえたから、楽しい感情がない状態で暮らしている。なにもわかってない。
やられた次の日、からだを動かすのが、くるいんだよ。からだを動かしたくない気持ちになる。いま、起きて、動くのであれば、死んだほうがましだという気持になる。そういう時間をすごしたあと、気力を出して、がんばって、出ていく。家を出ていく。
けど、そういうがんばりが、からだをこわす。睡眠回路をこわす。感情回路をこわす。こわしまくり。注意力がなくなる。注意力がなくなれば、トラブルが生じる回数が多くなる。きちがいヘビメタでトラブルにまみれているのに、さらに、トラブルが発生してしまう。
きちがい兄貴とのトラブルだけで精一杯なのに、ちがい兄貴のとのトラブルの結果しょうじた、自分のからだの状態が、他人のとトラブルを引き起こすことになる。
これ、どれだけ、失敗しないように注意してたってむだなんだよ。
ほんとうに、できないことが多くなるんだよ。
あんなことやられて、平気なわけがない。鳴り終わったあと、めちゃくちゃになるんだよ。もちろん、鳴っているあいだはめちゃくちゃだ。いま、幼稚園で工事をやっているけど、そういう普通の音とは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はちがうんだよ。質がちがうんだよ。どうやっても、無視できない音なんだよ。どうやっても、無視できない距離で鳴っている音なんだよ。
不可避的にできくなるのに、「そんなのは関係がない」という他人がいっぱい出てくる。そういう他人と、人生のなかで出会うことになる。そりゃ、その他人にしてみれば、ぼくのことは、まさしく他人事だし、自分が経験してないことなので、どれだけ影響をうけるかわからないことなのだ。
きちがい兄貴にしたって、自分がきらいな音をあの音でかさで鳴らされたら、一〇秒で、かんかんに腹がたつような音なんだよ。一〇秒で「やめろ!!!」と怒鳴り込むような音なんだよ。そういう音で鳴らしているのに、本人は、フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりでいる。ぜんぜんちがう。音のでかさがぜんぜんちがう。
きちがい兄貴だって、ほかの人に、ほかの音でやられたわかることなんだよ。きちがい兄貴は、自分が鳴らしたいという気持ちがあるから、絶対にわからない。きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじように、こっちがこまるということを、無視する。その無視のしかたが、普通の人間の無視のしかたではないのである。ほんとう、きちがいの無視のしかたなのである。
ほかの音でやられたら、きちがい兄貴にも、自分がどんだけでかい音で鳴らしているかということがわかる。けど、催眠術にかかったように、自分がやっているときはわからない。
きちがい兄貴も、きちがい兄貴以外の人も、「つみかさなったとき」のつらさがわかってない。どうしても、できなくなる状態が、わかってない。ほかのやつらは……九五%ぐらいのやつらは、みんな、俺がさぼっているように言いやがる。ほんとうにむかつく。
そして、まったく役に立たない言霊のようなアドバイスをしてくる。そんなことで、解決できたら、苦労してないんだ。そんなことじゃ解決できないから、苦労しているんだよ。
だれでも、すぐに思いつくようなことを有効な解決策として口にする人は、だれでも、すぐに思いつくようなことを、俺が、思いつかないと思っている。
だれでもすぐに思いつようなことは、もうすでに、初期の段階でやっている。
きちがい兄貴という壁がある。きちがい兄貴という壁は、きちがいの壁だ。ちがうのである。「お兄さんに言えばいい」という解決方法があるとする。その解決方法で、解決できたかというと、解決できないのである。
言霊……その解決方法で解決できたかというと、できないのである。
言霊的な解決方法を口にする人は、ぼくが、言霊的な解決方法では、解決できなかったと言うと、みんな、あとだしの妄想きちがい理論を口にする。言霊的な解決方法を口にする人は、ぼくが、言霊的な解決方法では、解決できなかったと言うと、みんな、不機嫌になる。腹をたてる。腹をたてたいのは、こっちなんだよ。ほんとうに、こどもだな。ほんとうに、ガキだな。
「いいアドバイスをしてやったのになんだ!!」という気分になるんだよな。
けど、本当に、役に立たない方法なの!! きちがい家族が、意地になってやっていることなんだよ。そんなのぼくがどれだけ、「すぐに鳴りやむ」「すぐに鳴りやむ」なんて言ったって、鳴りやまない。
きちがい騒音にやられて、めちゃくちゃにつかれて、眠りたいのに眠れないとき「すぐに眠れる」「すぐに眠れる」と言っても、眠れないんだよ。
「兄貴は、すぐに、ヘビメタにあきて、鳴らしたくなくなる」と言っても、きちがいの気持ちがかわらなかった。そりゃ、一五年後に鳴りやんだ。きちがい兄貴が引っ越したから、鳴りやんだ。一五年後でも、鳴りやめばいいのか?
そんなことはない。
これ、言霊の人たちというのは、時間制限を無視するところがある。「鳴りやんだなら、鳴りやんだんじゃないか」と言いやがる。一五年後に、鳴りやんでも、そのころには、ぼくの能力がなくなって、人生がズタボロになっているのだから、意味がないんだよ。
「一秒で鳴りやむ」と言ったのに、一秒じゃ鳴りやまなかった。「一分以内に鳴りやむ」と言っても「一分以内に鳴りやまなかった。一五年後に鳴りやめばいいのか?
そんなことじゃない。
きちがい兄貴! 俺の若い時間をかえせ!!
きちがい兄貴!! 俺の人生をかえせ!!!
やめようと思えば、いつでもやめられたんだぞ。絶対にやめなかった、一五年間はなんなんだ。一五年間、毎日は、なんなんだ。小学六年生の後半から、高校三年生までの六年と半年で、ぼくの人生は終わっている。