ヘビメタ騒音がはじまってから、ほとんどの他人が、いやな他人になった。これも、不可避的なことだ。すぐに鳴りやまなければ、そうなる。だれたって、そうなる。
ところが、だれも、俺以外、きちがい兄貴のきちがいヘビメタにさらされ続けたことがないので、「だれだってそうなる」という部分がまったくわからない。「だれだってそうなる」という部分がまったくわかってない他人は、ぼくにとって、不愉快な他人なんだよ。
そして、そういう他人は、かならず、不愉快なことを言ってくることになる。
そりゃ、そうだろ。
「だれだってそうなる」ということを理解せずに、「俺なら大丈夫だ」「私なら大丈夫だ」という前提で、ヘビメタ騒音の影響を無視して、自分が思いついたことを言うわけだから、それは、必然的に、俺にとって、不愉快な発言になる。
俺からすれば、相手が、めちゃくちゃに、無理解な、不愉快なことを言ってきたということになる。
そりゃ、三日で、完全に鳴りやむのなら、別だけど。それなら、「よくはある話」ですむけど。
きちがい兄貴が長期間にわたってやったので、そういうことにならない。そういうことではない。「そういうことではない」ということが、普通の人にはわからない。「そういうことではない」ということが、やられてない人には、まったくまったくまったく、わからない。
わからなければ、こっちには、あるヘビメタ騒音の影響を無視して、思ったことを言うことになる。ヘビメタ騒音の影響を無視しているので、ぼくにとっては、無理難題を言われたことになる。