ほんとうに、絶対にやめてくれなかった。きちがい兄貴は、きちがいヘビメタを、普通の家では、ありえない音で鳴らすのを、絶対にやめてくれなかった。どれだけ言っても、やめてくれなかった。自分がやっていいと思う時間、ずっとやり続けた。きちがいだから、融通がきかない。融通がきかないということの意味が、ヘビメタ騒音生活をしてない人間にはわからない。「それですらも、やってくれない」「こんなにピンチなのにやってくれない」……こういう気持のまま、きちがいヘビメタに、そのままさらされているときの時間の長さがわからない。怒り狂いの気持ちがわからない。ほんとうに、刺して殺して、問題を解決したかった。これ、きちがい兄貴の「意地」が並じゃないのである。きちがい兄貴の「鳴らしていいと思っている感覚」が普通じゃないのである。そりゃ、殺したくなる態度で、がんがん鳴らして、一秒だってゆずってくれなかったよ。
きちがい兄貴が「悪いこと」をやっているのに、「ゆずってやる」ということで、ドケチぶりを発揮する。こんなの、ない。普通のことをやっているのではなくて、悪いことをやっている。悪いことをやっているのに、こっちの状態や切迫度に関係なく、自分がやっていいと思ってやっている。こんなのない。どうして、切迫した状態になっているかというと、きちがい兄貴が毎日鳴らしているからだ。きちがい兄貴が毎日鳴らしているから、追い込まれてピンチな状態になっている。それなのに、たとえ、一〇分でも、ゆずらないで、死にものぐるいで鳴らしている。こっちはほんとうに、毎日が、殺してやりたい気持ちの連続なんだよ。追い込まれているんだよ。ところが、きちがいはきちがいだから、そういうことを、ガン無視だ。「しずかにろ」ということを言われれば、きちがい回路が発動して、無言のままきれて、やってないことになってしまう。これ、ほんとうに、きちがい回路が発動したあと、やり続けているのに、「そんなのは関係がない」という意味で、やってないのとおなじ態度になるんだよ。まったく、やってないのとおなじ感覚で、暮らしている。こんなきちがい……。こんなきちがい……。普通の人にわかるわけがない。
「そんなのは関係がない」という意味で、とりあえず書いたけど、ほんとうに、なんとも言えない態度で、鳴らし続ける。きちがい親父も、発狂したら、頑固に、やりきって、やりきったという気持がないままで暮らしている。こんなのは、ない。ないけど、きちがい兄貴は一日に二四時間、そういうモードで暮らしているんだよ。きちがい親父も、一日に二四時間、そういうモードで暮らしているんだよ。きちがい兄貴ときちがい親父は、態度や感覚がまったくおなじなんだよ。そして、その態度や感覚は、一緒に住んでいる人しかわからない。実際にそういう態度や感覚でやりきったあと、まったくやってないつもりで暮らしている人間なんて、親父や兄貴しかいない。ぼくの知っている限り、そういう人間は、親父や兄貴しかいない。よその家には、いない人たちなんだよ。よその家には、いないタイプの人たちなんだよ。そりゃ、よその人だって、無理がいぶり発揮するだろ。
* * *
くそ凡人にバカにされて、俺がこまるようなことしか、きちがい兄貴は、しない。くそ凡人にバカにされて、俺がこまるようなことしか、きちがい親父も、しない。こいつらは、人知れず、俺がほかの人からばかにされることを、きちがい的な意地で、毎日毎日、やりやがって……。きちがい的な意地でやったのに、きちがい的な意地でやったということを、まったく認めない。そういう態度で、ずっと、毎日やりきる。こんなのは、ない。
* * *
もう、人生、全部が全部、そんなことだ。きちがいに押し出されて、不可避的に、こまった状態になりこまっているのに、今度は、くそ凡人が、「こまる」ということを認めないということになる。くそ凡人にしてみれば、くそ凡人が、五秒で考えたような、ものすごいいアイディアで問題が解決すると思っているのだ。そういうことからして、なめられている。なめられる。そく凡人のなかでは、「お兄さんにちゃんと言えば、問題は解決する」ということになっているのだ。ちゃんと言えば……。ちゃんと言えば……。くそ凡人のなかでは「元気だ元気だと言えば、どれだけつかれたって元気になる」のだ。くそ凡人のなかでは「ヘビメタ騒音の影響をうけないぞと決心すれば、影響をうけなからだになる」のだ。くそ凡人のなかでは……。これ、どれだけバカにしているかわかっているのか?
* * *
そんなことで解決するんだったら、苦労してない。苦労と言えば、「俺だって苦労した」か?
すべてがいやだな。