いま、からだが猛烈にかゆいわけだけど、もう、ネズミの糞の処理をするのがいやなのだ。どうしたって、ダニに刺される。けど、俺が片づけなければ、ずっと、ネズミの糞がそこにあるという状態になっている。粗大ごみをもって行ってもらわなければ、掃除をすることができない場所がある。その場所にずっと、ネズミの糞が置いてあるのだ。俺が、どういう思いで、ネズミの糞を片づけたと思っているんだよ。きちがい親父なんて、なんの責任も感じてない。「親父が、魚の切り身を出しておいたから、ネズミがきた」ということを言えば、「出してないよぉ!!出してないよぉ!!出してないよぉ!!出してないよぉ!!」と顔を真っ赤にして絶叫する。この態度は、竹を植えたときの態度や、ハンダゴテを買ってやらなかったときの態度とおなじだ。これ、おなじなのである。もちろん、親父といっしょに住んだことがない人にとっては、そんなのは、どうでもいい問題だ。けど、いっしょに住んだことがある人間にとっては、重要な問題なのである。
ちなみに、きちがい兄貴も、ヘビメタ騒音を鳴らし続けて、俺の人生を台なしにしたということについて、まったく責任を感じてないよ。そもそも、あれだけでかい音で、試験期間中に、ずっと鳴らして、自分が(兄貴が)俺の(弟の)試験の邪魔をしたと、まったく思ってないんだよ。この特殊な態度も、きちがい親父の態度とおなじなのである。まったく、やった本人は、気にしてないよ。責任なんて感じるわけがない。やっているときから、ずっと、自分の気持ちだけでやっている。自分の気持ちしかないんだよ。もし、でかい音で鳴らしているということに気がついてしまったら、しずかにしなければならない……ことは……無意識てな命令で、意識的には絶対に認めないのである。どれだけ言われても、どれだけ言われても、無意識的に、まったく気がつかないという態度になる。この態度が、やられているほうからすれば、ものすごく腹がたつ態度なんだよ。そりゃそうだろ。あきらかにやっているのに、やっているということを認めないんて、こんなの、ない。丸出しなのに、無意識的に無視しているから、ないことになっていて、ないのである。丸出しなのに、ないことになっている。そうしたら、梃子でもゆずらないぞという態度になる。だから、梃子でもゆずらないぞという態度でやっているのだけど、本人は、まったくそのつもりがないというきちがい的な感覚が成り立っている。