からだがかゆいと、ネズミ対策工事のことで、「やらなくていい」と言った部分を対策業者がやってしまって、逆に穴があいて、被害を受けたということが思い出される。
からだがかゆいと、いろいろなことを思い出す。
ネズミ関係のいろいろなことを思い出す。この、工事に関しては、本当に、ねずみ対策業者が、いろいろな「へま」をしている。
しかも、ヘマがあきらかになったとき、こっちが連絡をしようとしたら、ネズミ対策業者の人が、電話に出なかった。あとで、わかったことなんだけど、脱腸で入院をしていた。
ぼくは、「お勝手のドアは、あかなくてもいい」何回も何回も言ったんだよ。そうしたら、ネズミ対策業者の人が「あけられたほうがいいだろ」と何回も言ったんだよ。
これ、カネを払うのはこっちなのだから、一回「やらなくていい」と言ったことは、やるべきではないんだよ。食い下がるべきではない。
けど、その人が、昭和一桁生まれの人で、ふるい人なんだよ。だから、「一度、関係ができたら、自分がやってあげたいことをやったほうがいい」と考えるような人なんだよ。「これは、こういうふうにしておいたほうがいいだろう」とその人が考えたら、そういうふうにしてやることに、こだわる人なんだよ。
これ、「してやる」という発想なんだよ。
「してやれば、相手はよろこぶにちがいがない」という発想なんだよ。
けど、「やらなくていい」と相手が言ったことは、相手にとって、やらなくていいことなんだよ!!!
きちがい親父が、こういうやつの性格を一〇〇〇兆倍したようなやつなのだから、こういうやつがかかわると、そっちのほうの心理的な問題も出てきてしまう。そっちのほうの心理的な問題というのは、親父がぼくにやってきたことを思い出してしまうという問題だ。そりゃ、記憶があるのだから……。俺がやってほしくないことを、親父が強引にやってしまうというトラブルが……それこそ、幼稚園時代から、たくさん、あったのだから、思い出してしまう。ひとつひとつが、トラウマだ。
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ねずみ対策業者の人が「あけられたほうがいいだろ」と言ったあと、ぼくが、ネズミ防御力がさがるから、やらなくていい」と言ったら、「ネズミ防御力はさがらない。ちゃんと、やってやるからだいじょうぶだ」「ネズミがはいらないようにちゃんとやってやるからだいじょうぶだ」と言ったんだよ。これ、何回もおなじ会話を繰り返している。
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一度!俺が「やらなくていい」と言ったことは、やらなくていいことなんだよ!! 食い下がるな!!!食い下がるな!!!食い下がるな!!!食い下がるな!!!食い下がるな!!!食い下がるな!!!
食い下がって、無理やりやったやつは、みんな、ヘマをする。みんな、ヘマをする。できあがったものがよくないのである。これ、みんな、そうなんだよ。これ、おしが強い、食い下がるやつってなんだ。
これ、あっちがプロで、こっちが依頼者なのだから、依頼者が「やらなくていい」と言ったことをやるのはおかしいだろ。俺が、見てないうちに、やっちゃって「あれは、やっておいたよ」なんて、事後報告だ。
自分のなかでやりたくなったら、エンジンがかかって、人がとめても、やってしまうやつがいるんだよな。これ、どうにかならないのか?
こういう、おしが強いやつは、みんな、みんな、ヘマをする。
依頼者がたのんだことをやってやるのがプロなのに、自分がやりたいことをやってしまう。これ、なんなんだよ? しかも、自分では「相手のためになっている」「相手のためにしてやった」と思っているんだよ。そういう思考スタイルなんだよ。相手が「やらなくていい」とひとこと言ったら、それは、相手にとって不必要なことなんだよ。なんで、それがわからないのか?
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「どうしても、気にくわなかったら、あとであなた(俺のこと)がつけなおせばいい」というようなことも言ってたんだよね。けっきょく、ネズミ対策業者の人がパティをとったら、ぼくがつけなおすことになってしまう。けど、ネズミ対策業者の人は、パティのことを知らないのだ。
これ、プロだから知っていると思ったのだけど、一度つけたパティは、とったらダメなんだよ。つけなおせないんだよ。時間がたったやつはつけなおせないの。まるでわかってないな。
どうしても気にくわないから、「やらなくていい」「とらなくていい」「ドアはあけられるようにしなくていい」と言っているのに、「ドア、あけられたほうがいいだろ」「あけられるようにしてやる」と言ってきかない。俺は、「ドアは、あけらなくてもいい」と言っているんだぞ。このドアというのは、お勝手のドアだ。使わない。
俺が、とるな、と言ったら、とるな!!!!!!!!!俺が、とるな、と言ったら、とるな!!!!!!!!!俺が、とるな、と言ったら、とるな!!!!!!!!!俺が、とるな、と言ったら、とるな!!!!!!!!!
どうして、きちがい親父が起点だと、こういうことになるかな??
かゆい!!!!!かゆ!い!!!!くそ、くそ、くそ。どうして、親父が起点だとこういうことになるんだ。
きちがい兄貴が起点でもそうだ。きちがい兄貴がやったことについて、対処しようとすると、次から次へと、起点が影響しているトラブルが発生する。
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いま、衣類の熱湯消毒処理をしているけど、これも、どれだけ効果があるのかわからない。ともかく、この部屋に入られたのは、問題だ。最後の最後で、はいられた。あそこで、パティをネズミ対策業者が、とらなかったら、入らなかったネズミだ。
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ネズミに関しては、時間が問題なのである。侵入されている期間がのびればのびるほど、ひどいことになる。「侵入経路をふさぐしかない」と俺が言ったのに、きちがい親父が「俺が(ネズミシートで)つかまえるからいい」と絶叫して、ガン無視だ。
これも、何十回も、押し問答だ。
何十回、説明しても、「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」と言いやがる。
入ってきたやつを、ネズミシートで捕まえたって、あとからあとから、入ってくるわけだから、問題が解決しない。ネズミの糞が増え、ダニが増える。どれだけ、「それだと、ネズミの糞が増えちゃうだろ」とか「それだと、ダニが発生してたいへんなことになる」とかと言っても、きちがい親父が発狂して、 「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」「俺がつかまえるからいい」と絶叫して、無視だ。俺が言っていることを無視する。
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まあ、ネズミのことは、俺の超個人的な問題だ。そして、あれのことは社会的な問題だ。けど、ネズミのダニも、あれのトランスミッションも、いやだなぁ。目に見えないけど、圧力になる。目に見えないけど、いろいろな病気や症状の原因になる。どっちもそうだ。実際、からだがかゆいというのは、こまった問題だよ。
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押しつけがましい人は、「やってやれば、相手がよろこぶはずだ」という考え方をずっと持っている。相手が「こまるからやめてくれ。やらないでいい」と言ったあとも、そういう考え方がずっと、頭のなかに成り立っている。自分がやったことで、相手がこまるということが、ぜんぜんわかってない。その場に対応した「理由」を(相手が)説明してもだめなのである。どうしても、どうしても、『自分がやってやりたいこと』が優先してしまう。
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手短に言うと、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを信じている人も、押しつけがましい人とおなじような状態になってしまう。人に親切にしようと「過剰」に思っている人は、自分が思いついた「親切」を他人にやってやりたくなる。その、やってやりたい度合いがあがっている状態なのである。
そりゃ、「人に親切にすれば、(自分が)しあわせになる」のであれば、しあわせになりたい人は、いろいろと理由をつけて、他人に親切なことをしたくなる。
けど、その「親切なこと」というのは、その人が考えたものなのである。その人が考えた親切は、相手の状態や、相手の考えを無視したものになりやすいのである。どうしてかというと、「やってやりたい」からだ。
本人のなかで「やってやりたい気持ち」がブーストアップされる。
「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを信じている人は、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということをまったく気にしてない人よりも、押しつけがましくなるのである。
自分が「親切にしてやりたいこと」に集中してしまうのである。
相手が、のぞんでいるものを吟味して、相手がのぞんでいるなら、やってやるという「かまえ」のほうが、相手がのぞんでいることを、やってあげられる確率があがる。「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを信じてしまうと、一時的にだけど、「押しつけがましい人」とおなじ性格になってしまうのである。おなじ思考スタイルになってしまうのである。
まあ、もともと押しつけがましい人のほうが、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを「一時的に」信じている人よりも、押しつけがましさの度合いがうえだとは思うけど。
「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを信じている人は、そのぶん、「人に親切にすれば、しあわせになる」ということを信じていない人よりも、トラブルが多くなる。自分が親切行為だと思っていることをやってしまう可能性がある。
自分がこうしてやれば、相手がよろこぶはずだということを、相手の感情や相手の状態を無視して、やってしまう可能性がある。「人に親切にすれば、しあわせになる」と強く思っている人は、普通の人よりも、より強く、親切行為を(他人に)やってあげたいと思うようになるわけだ。けど、その親切行為というのが、問題なのである。