きちがい兄貴が、俺の全部の時間をよごした。きちがい兄貴が、俺の全部の時間を汚染した。きちがい兄貴が、うばった時間をかえしてほしい。これ、ほんとうに、まったくなにもやったつもりがないんだよ。ずっと鳴らしているときから、ずっとずっと、なにもやっているつもりがない。なにもやっているつもりがないまま、きちがい的な意地でずっと、きちがい的な音のでかさで、鳴らしていた。きちがい的な感覚で無視していた。こっちがこまるというのを、きちがい的な感覚で無視していたのだ。ほんとうに「やりようがない」。ほんとうに、やりようがない状態になる。ところが、やられてない人は、やりようがない状態になるというのが、これまた、根本的に、わからない。やられてないからわからない。なんとなく、対処できそうな感じがするのだ。実際にやられてないから『自分ならそんなのは平気だ』とごく普通に思ってしまう。けど、ほんとうにやられたら、やっぱり、「やりようがない」ということが、いやおうなく、わかる。わかるはずだ。実際に、自分のうちに、きちがい兄貴のようなきちがい家族がいないから、わからないだけでしょ。実際にやられてないから、「やりようがない」ということの意味がわかってないだけでしょ。
言霊主義者は、こっちの苦悩、実際のヘビメタ騒音の苦労を、ほんとうに無視する。あるいは、軽視する。軽視しておいて、『理解した』と言ってくる。そして、まったく役に立たない、言霊的な解決法について語りはじめる。これ自体が、屈辱なんだよ。これも、きちがい兄貴のように、わからないんだよな。きちがい兄貴のように、言霊主義者が理解しない。現実的な重さを、無視している。そりゃ、自分はやられてないのだから、無視できるだろう。けど、いっしょに住んでいて、ずっと鳴らされたら、やはり、無視できなくなるのである。生活に支障がでるということがわかるはずなのである。固定的な障害が発生するということがわかるはずなのである。固定的な障害というのは、主に睡眠障害と感情障害と生活体力障害だ。