かなり憂鬱な気持で横になっていた。やはり、親父が二〇一七年から二〇二〇年にかけてやったことが影響している。腹をたててぶんなぐってやりたかったけど、がまんした。がまんすると、怒りが内向して、こっちの気持ちがおかしくなってしまうのだ。
これは、基本的なやる気に影響をあたえる。
ところが、世間では、出来事と関係なく「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるという、おかしな説がはやっている。こんなの、おかしい。
こういうのは、条件が悪い人の気持ちを破壊する。
ようするに、きちがい親父にも破壊され、世間のやつらにも破壊されるということになる。
くるっているやつと、一緒に住んでいる人のことが、こういうやつらにはわからない。
言っておくけど、親父の場合……としをとったから認知症になって奇行をするようになったというわけではない。そんな、なまやさしいものじゃないぞ。俺が赤ん坊のときから、くるっていた。親父は、くるって、きちがい的な行動をしていた。そのきちがい的な行動は、こっちに対して、きちがい的な理由で怒り狂うというものだったので、こっちは影響をうけている。
きちがい的な親にやられなかったやつが、「そんなのは気にする必要がない」「影響をうけないぞとかたく決心すれば、影響をうけることはない」というようなことを言う。
影響? 影響、うけるよ。
実際に起こったことが、重要なんだよ。
どうして、実際に起こった出来事を無視して、「影響をうけないぞとかたく決心すれば、影響をうけることはない」というようなことを言うのか?
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背中がまだかゆいけど、ピークは越えた。けど、これ、わからないんだよな。突然かゆくなるからな。いま、中程度に、三カ所ぐらい、かゆい。
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これも、親父のきちがい行為とネズミ対策工事が関係している。現実に起こったことが、重要。なんで、現実に起こったことを無視して、意識的に「楽しい」と言えば、楽しくなると思えるのか? こんな、現実無視、ない。
「楽しい」と言って、なんとなく楽しくなるような場合は、そもそも、中立的な状態でそういうふうに言ったんでしょ。
これ、本人だって、ほんとうは、そうじゃないことを経験しているのである。ぼくが、言霊主義者に、言霊理論はまちがっているということを説明すると、言霊主義者はみんな、腹をたてる。その腹をたてた状態で、「楽しい」と言えば、ほんとうに楽しくなるのか?
楽しくならないのに、そういう実際の出来事は無視する。
からだ全体が猛烈にかゆかったら、「楽しい」と言って、楽しくなるか? 腹が猛烈にいたいとき、楽しいと言ったら、楽しくなるか?
人間の気持ちというのは、そういうふうにはできてない。実際に起こったことが重要。特に、いま発生していることや、ずっと持続していることは、影響をあたえる。あたえるに決まっている。ところが、そういうことを無視して、「楽しいといえば、ほんとうに楽しく感じる」というようなことを言ってしまう。
いやーー。それ、嘘だから……。それ、意図があって言っていることか、あるいは、本人が、実際には身近な出来事の影響をうけているということを、忘れちゃって言っていることだから……。
意図というのは、悪い意図なんだよ。
たとえば、そういうふうに言って、残業文化や奴隷労働文化を育成しようとする意図がある。一日のなかで、どんなつらいことがあっても、一日の終わりに「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなるのだから、それでいい……。「楽しい楽しい」と言って、自分のご機嫌をとればいい……ということになってしまう。「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならないやつは、ダメなやつだ……ということになってしまう。。楽しい楽しいと言えば、自分のご機嫌をとれるのに、そうしないやつは、ダメなやつだ……ということになってしまう。
そうやって、彼らは残業文化や奴隷労働文化を育成しようとしているのである。それは、条件が極端に悪い人にとっては、負担になることなんだよ。ただでも、条件が悪い人は、さまざまなストスレにさらされているのに、ストスレのもとが、ひとつ、増える。