ともかく、ヘビメタが鳴り始めた日から、うまくいかない。すべてが、ピンチなんだよね。すべてがうまくいかない。うまくいかなくなる圧力がかがる。他人の反応なんて、ここに書いてきたようなものばかりだから、ヘビメタ騒音そのもので、ものすごく不愉快な気持になり、ヘビメタ騒音の結果しょうじたいろいろなことにかんする他人の反応で、ものすごく不愉快な気持になる。もう、そういうふうに、最初から、できあがっている。きちがい兄貴は「無視して」鳴らすべきではなかった。無視して、毎日毎日、何時間も何時間も鳴っていると、「やりようがない」のである。で、この「やりようがない」ということだって、実際に鳴らされているぼくにしか、どういうふうに「やりようがない」のか、わからないのだ。他人には……実際には……ぼくとおなじように……鳴らされていない……他人には、まったくわからないことだ。だから、他人は、他人の常識と、他人の判断で、「やりようがある」ようなことを言う。それがまた、不愉快だ。それがまた、不愉快だ。不愉快な出来事なのである。不愉快な出来事なんだよ。
毒ガスのなかで、からだがうまく動かないような状態でずっと暮らしてきた。毒ガスのなかで、睡眠不足のまま、動かないからだを、無理やり動かすように暮らしてきた。けど、それが、また、次の「悪い状態」をうみだすのだ。だから、時間の経過とともに、きつくなる。よくならない。からだが騒音になれるというようなことを言うやつもいた。なぐりたくなる。なぐると、また、不愉快なトラブルがしょうじるからなぐらないけど、なぐりたくなるような発言にはかわりがない。
全部が、ピンチなんだよね。きちがいヘビメタ騒音を、きちがい兄貴が鳴らし始めた日から、ずっとずっとずっと、何十年も毎日、ずっとずっとずっと、すべてが、ピンチだ。不愉快だ。楽しくない。トラブル続きで、つかれはてる。その上に、きちがい親父が、きちがい行為で、さらにトラブルをのせるのだ。きちがい兄貴ときちがい親父のやり方はおなじだ。そして、きちがい兄貴ときちがい親父の認知のしかたがおなじだ。絶対に認めない。きちがい兄貴がやっていることで、くるしいんだよ。きちがい親父がやっていることでくるしいんだよ。これ、どれだけ言っても、こいつらが認めない。こいつらのきちがい回路で、認めない。認めなかったら、どれだけやったって、やってないことになっているんだよ。こいつらの頭の中でそうなんだよ。どれだけ言っても、通じないんだよ。よそのやつらは、それも、俺の自己責任だというのだ。しかも、本人は、これまた、道徳的な発言をしていると思っているのだ。正しい発言をしていると思っているのだ。こういうことが、二重、三重、四重、五重、六重、七重にかさなってくるしかったのが、ぼくの人生だ。ほかの人には、きちがい兄貴がいない。ほかの人のうちには、きちがい兄貴がいない。ほかの人には、きちがい親父がいない。ほかの人のうちには、きちがい親父がいない。ぜんぜん、ちがう。けど、「俺だって苦労した」のひとことで、その差が打ち消される。もちろん、本当は、打ち消されたわけではない。差がないことになったわけではない。現実世界で、差がないことになったわけじゃない。ところが、そいつの脳みそのなかでは、差がないことになってしまうのである。だから、これまた、実際に、しょうじたことによって、くるしくなっているのに、「くるしくなると思うから、くるしくなる」などということを、こういうやつらは、言い出す。全部が全部、こういうことになってしまう。きちがい家族にやられたら、きちがい家族にやられたことがない人が、勘違いして、勘違い発言をしてくるようになる。ところが、その、ノーマルな他人は、やはり、きちがい兄貴のように、きちがいヘビメタ騒音の効果(ものすごく悪い影響)を無視するし、きちがい親父のように、きちがい親父の、きちがい的な行動の結果しょうじる、ものすごく悪い影響を無視する。無視して、まちがった発言をする。
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ほんとうに、きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなくて、普通に言えばわかってくれる、普通の兄貴だったらよかったのに……。きちがい兄貴が意地をはって、よその家では一分だって鳴らせないようなでかい音で、ヘビメタを鳴らすから、こっちは、その影響で、いろいろなことができなくなるんだよ。つかれはてて、体調が悪い状態のまま、一日をすごすことになるんだよ。けど、きちがい家族がいないから、そういう騒音を聞かされない人たちは、普通に暮らしているのである。俺だって、きちがい兄貴が、普通の音で鳴らしているうちは、家で宿題ができた。だから、できるのである。けど、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な音のでかさで鳴らすようになってから、宿題ができなくなってしまったのである。だれだけ、踏ん張っても、どれだけがんばっても、宿題ができなくなってしまったのである。けど、それを、ほかの人たちはわからないから、「宿題をやりたくないから、きちがいヘビメタ騒音で宿題ができないなどと、いいわけをしているだけなんだ」と考えるのである。そして、「楽しいと言えば楽しくなる」というような言霊的なことを言うのである。これが、こたえた。これも、こたえた。