たとえば、アドラーは、条件が悪い人のことを悪く言うことにたけている。アドラーは条件を無視して、「コツコツと努力すれば、成功する」というようなことを言う。条件を無視している。条件を無視している。条件のちがいが、成功するかどうかに影響をあたえるということを、積極的に無視している。
そして、成功してない人を、努力をしなかったダメ人間のように言うのである。成功しなかったなら、その人は、努力をしてないという決めつけをする。
努力をしたけど成功しなかった人は、存在せず、努力をしないような怠け者だから成功しなかっただけなのであるという印象を、アドラーは人々にあたえる。条件を無視している。
そんなの、どれだけ努力したって、失敗する人間だっている。
条件が悪ければ、どれだけ努力しても、失敗することはある。
条件について言及する人間に対しては「負け犬の遠吠えだ」とか「泣き虫が泣きごとを言っているだけだ」とかというののしりの言葉を用意しておく。
これは、ようするに、アドラーが、条件が悪くて失敗した人のことを、悪く言っているということだ。
ところが、アドラーは「人がどう思うかなんて気にしなくていい」というようなことも、言うのである。自分が、条件の悪い人をののしっておいて、「人がどう思うかなんて気にしなくていい」と言うのだ。
悪口を言っておいて、「人がどう思うかなんて気にするな」と言うのである。
こういうことを、やるのは、アドラーだけではない。
たいして成功してない人間でも、自分より条件が悪い人には、こういうことをしがちなのである。自分を中心にして、比較優位とか比較劣位があると言ったでしょ。
たいした成功をしてない人でも、自分を中心にして考えて、比較劣位にある人には、そういうことを言いがちなのである。本人だって、たいして成功してないのけど、相手よりは、成功していると思うと、相手にそういうことを言いたくなる人がいる。