言いたかったのは、実際の出来事とは関係なく「楽しい楽しい」と言えばほんとうに楽しくなるというようなことを、言っている人たちは、自分がどういう発言をしているのかわかってないということだ。わかってないんだよね。これーー。きちがい的な親兄弟にたたられた人を、地獄のふちにおいつめるような、無理解発言なんだよ。これも! これもーー。こんなの、ない。こっちが「こんなのはない」と言いたくなる発言だ。実際の事実が、自分のこころに影響をあたえるのである。それじゃ、「あなたが、むかむかして、通りに出て、手当たり次第に人を殺した」とする。あなたがつかまって独房にいるとき、「楽しい楽しい」と言えば、ほんとうに楽しくなるのか? 実際の出来事とは関係なく「楽しい楽しい」と言えば、ほんとうに楽しくなると言っている人は、楽しくなるはずだということを、主張している。「楽しい楽しいと言えばほんとうに楽しくなる」と言っているのだから、そういうふうに主張しているということになる。例外はないのである。Xをすれば、Yになるという構文をもった文の場合、条件がないのであれば、すべての条件でそれが成り立つということになってしまうのである。こういうことを、まったく考えない人たちなんだよ……。こういう人たちも……。ほんとうに、いやだな。ほんとうに、いやだな。
そういえば、ご丁寧に「どれだけつらくても、楽しい楽しいと言えばほんとうに楽しくなる」とか「どれだけいやなことがあっても、楽しい楽しいと言えばほんとうに楽しくなる」と言う人たちがいる。どれだけつらくても? どれだけいやなことがあっても? ほんとうに、わかって言っているのかな? わかってないんじゃないかな。