これも言ってしまっていいのかどうかわからないけど、努力論者が無視しているものがある。それは、ゲームの世界でいうHPのようなものだ。
HPというのは、たいていの場合、Hit Pointsの略で、HPがゼロになると、ゲーム内で死ぬ。これはもともと、防御力みたいなものなのだけど、体力みたいなものとして考えられる場合も多い。
努力論者は、普通の条件下で暮らしているので、特に、なにもしていなくても、HPががんがんけずられていく条件下で暮らしている人のことがわからない。
きちがい家族による騒音攻撃をうけると、そこに存在しているだけで、HPががんがんけずられていく。HPは、じつは、努力をすることによっても、けずられる。
ところが、普通の睡眠によって回復するので、一日のなかでけずられたHPは特に勘定をしなくてもいいということになっているのだ。……努力論者のなかでは。
努力論者というのは、じつは、環境に恵まれている。そこに存在しているだけで、HPが、がんがんけずられていくような条件をもってない。
だから、行動に割り当てるHPの余裕がある。行動というのは、努力をする行動という意味だ。普通の生活をするだけではなくて、追加の行動をするHPがある。HPの余裕がある。
ところが、そこに存在しているだけでHPをがんがんけずられる人は、追加の行動をするHPが、そもそもない。これは、ようするに、「努力できない」ということだ。
けど、普通の条件下で暮らしている努力論者は「努力できない」状態というのを認めていない。だれでも、その気になれば、努力できるということになっているのである。
「できない」なんてことはなくて、「しないだけだ」ということになっているのである。……努力論者のなかでは。
なので、努力論者は、努力をしないものを、根本的に軽蔑するように、できあがっているのである。これに関しては、あとで考えることにする。
ともかく、最悪の条件が成り立つと、努力することができない。
最悪な条件よりも、少しはましな、悪い条件が成り立っている場合、悪い条件によってHPがけずられていくので、追加の行動をすると、HPの減りがはやくなる。追加の行動をし続けるなら、HPがゼロになる。その日に回復されないからだ。
努力論者は、努力をすれば、成果が得られると考えている。
しかし、現実世界では、努力をしても、成果がまったく得られない場合がある。現実社会では、努力をしても、成果が得られない『条件』が成り立っている場合がある。その場合、努力をしても、成果を得ることなく、死んでいくということになる。
成果が得られないまま死んでいくことだってあるのに、努力すれば成功すると努力論者が言う。
けど、これは、条件を無視した考え方だ。現実的ではない。