ほんとうに、玄関でまっているあいだに、蚊に二か所刺された人には、ものすごく申し訳なく感じるのだけど、親父がやったことなんだよね。おやじが入院したあと、造園業者に頼んで、竹を根元から切ってもらった。
けど、竹というのはものすごく生命力で、すぐにはえてきた。根がつながっているところに栄養供給源の竹があるので、背丈の短い竹をはやすことができる。
で、これが、蚊の住処になっていたみたいなんだよね。
これ、蚊のことを言われるとは思ってなかったので、なんか、ふいうちをくらった感じなのである。しかも、玄関でまっているときに刺されたということになっているのだけど、実際には、玄関の前に立って、呼び鈴をおすまえに刺されたのではないかと思う。
ぼくは、一階の部屋で、まっていたので、三秒ぐらいで、出ている。で、ぼくだって、自転車を出すとなると、出すときに四カ所ぐらいは、どれだけいそいでも刺される。
でっ、そういうことで、もめても、きちがい親父がきちがい親父だから、竹を切らない。
だから、家の人はずっと、六月あたりから九月あたりまで、毎日、蚊に刺される日々になる。これ、「蚊に刺されるから、竹を切ってくれ」と言われたときの親父の態度が、「なんだ!!そんなの!!!」という態度なのだ。
だから、「うらみ」がつのるんだよね。
で、そのときのうらみの量が、何十年もつみかさなっていると、けっこうな量になっている。ぼくは、たとえば、友だちのうちに行って、呼び鈴をおして、まっているあいだに三か所、蚊に刺されたとしてもぜんぜん気にしなかった。
それは、あたりまえのことだと思っていた。
友だちの家で遊んでいたとき、蛾にやられたのだけど、それも、友だちや友達の家の人をせめる気なんてまったくなかった。でかい庭がある家で、庭で刺された。家のなかで刺されたわけじゃない。庭に池があるような大きなうちなのである。
で、ともかく、自分の家で遊んでいるとき、蚊に刺されても、ぜんぜん気にしなかった。けど、それは、まあ、小さいときの話だ。
庭の木と竹に関しては、主におかあさんがこまっていたのである。で、おかあさんが「こまる」と言っても、こまるということを(きちがい親父が)認めないんだよね。相手がこまっているということが、本当に、一ミクロンも、一ナノメートルも、わからない。まったくまったくまったく、わからない。
これ、きちがい兄貴が「しずかにしてくれ」と言われたときの態度と、まったくまったくまったく、おなじなんだよ。きちがい親父の態度ときちがい兄貴の態度が、まったくまったく、おなじなんだよ。自分が「やりたいこと」をとめられるようなことを言われると、発狂して、無視する。相手がこまっているということ全体を、無視する。
だから、相手が「こまっているからやめてくれ」と言われたあとも、本人たち(きちがい親父ときちがい兄貴は)まったく言われなかった状態に回帰してしまうのである。ようするに、本人たち(きちがい親父ときちがい兄貴のなかでは)……苦情を言われても、苦情を言われなかったことになってしまうのだ。一回、一回、そういうことになるので、合計で何万回言われても、一回も言われてないと思っている状態で、苦情が出るような迷惑行為をし続けるわけ。
で、当然、「悪いと思ってない」状態なんだよ。何万回言われたあとも、相手が、自分の行為でこまっているということは、頭のなかにない状態なんだよ。普通なら、何万回も苦情を言われたら、相手が、こまっているという記憶が残る。
けど、まったくまったく残ってない状態なのである。苦情を言われたということ自体を、発狂して、忘れている。これ、普通の忘却じゃないんだよね。本人がおこってはねのけたら、もう、相手が言ってこなかったと言うことになっているみたいなんだよね。きちがいなんだよ。
そんなの、普通の人はやろうと思ったってできない。普通は、フリをしているだけだ。気がつかなかったふりをしているだけだ。けど、きちがい親父ときちがい兄貴は、ここらへんの脳みそが、おかしくて、ほんとうに、「言われなかった状態」になってしまう。言われたとたんに、言われなかった状態になってしまう。
で、ネズミ事件があったあと、ダニのことでもめて、そういう期間中に、自転車を出すために庭に出ると、自転車を出すときと、しまうときで、合計八カ所とか一〇カ所ぐらい、蚊に刺されるわけ。
で、それも、どれだけなにを言っても、きちがい親父は、気にしないわけ。
で、こどものときは、気にしていなかったけど、おかあさんが天国に行ったあと、数年して親父が脳梗塞で入院して、退院してもどってきたころから、わりと腹がたつようになった。蚊のことで腹がたつようになった。「いいかげんにしろ」という気持になっていた。ダニのことだってある。つみかさなっている。
だから、蚊に刺されたということで、文句を言ってくる「ネズミ対策工事の人」の気持ちがわかるのである。この人は、見積もりにきただけなんだけど、棟梁が頼りにならないので、ほかの業者を探していて、見積もりにきてもらった。
で、ほんとうに、竹を切ってから三か月ぐらいしかたってないんだよ。けど、六月で、もう、蚊がだいぶいたみたいなんだよな。ぼくは、二階のドアから降りて、当然、竹のまえも通るのだけど、すぐに通り抜けてしまうので、自転車を出さずに、徒歩で外出するなら、蚊に刺されなかった。
だから、蚊のことで文句を言われるということが、まったくわかってなかった。相手の気持ちを考えると、本当にすまない気持ちになるのだけど、「俺に言ってもしかたがない」という気持もあったわけ。
だから、「親父がやったことだから、親父に言って」とネズミ対策工事見積の人に言ったんだけど、「ここにいない人のことを言ってもしかたがないでしょ」とネズミ対策工事見積の人が言って、俺に対して、敵意をむけてきたんだよね。
抗議をしたい気持ちはわかる。わかりすぎるほどわかるんだけど、本当に親父がやたっことなんだよね。たとえばの話だけど、泥棒が入ったとする。そして、盗まれたものについて、警察に説明したとする。その場合、「ここにいない人のことを言ってもしかたがない」ということにはならない。ここにいなくても、やった人が、悪いのだ。やった人に責任がある。
けど、ネズミ対策工事見積の人はやはり、俺に文句を言ってきたわけ。だから、俺は、ネズミ対策工事見積の人にうらまれたわけだけど、ほんとうに、親父がやったことで、ぼくは、できるだけのことはやったんだよ。
きちがい親父が(急性胆嚢炎で)入院する前は、切ることができなかった、竹を切った。竹だけではなくて、玄関のまわりにあった、いろいろな木や草系の植物を切ったんだよ。根こそぎ切ってもらったの……。だから、竹のことは、ぜんぜん考えてなかった。
ところが、背丈は低いけど葉っぱがたくさんついている竹がはえて、蚊がいたみたいなのである。これ、ぼくにとっては、対処したところだから、だいじょうぶだろうと思っていたところで、不意打ちなんだよね。まさか、そんなことを言われると思ってなかった。
で、相手の気持ちがわかると、こころがいたむのである。ずきずきといたむのである。それは、きちがい親父に抗議しているぼくの気持ちなのである。ネズミ対策工事見積の人がぼくに抗議しているわけだけど、相手の気持ちの「イメージ」がぼくが、親父に対してもっている気持ちなのである。
ぼくの、親父に対する抗議の気持ちを、考えて、ネズミ対策工事見積の人の気持ちを考えてしまう。そうなると、きちがい親父が、ぼくやってきたことが、甚大で、数が多すぎるので、とてつもなく憂鬱な気持になってしまうのである。
もしかりに、ぼくがネズミ対策工事見積の人の抗議に対して、なにも感じず「なんだそんなの」と無視するのであれば親父とおなじになってしまうのである。
けど、正直に言うと、回数がちがうんだよね。あと、親父が竹をうえたわけで、ぼくが竹をうえたわけじゃない。ぼくは、おかあさん一緒に、竹をうえることには反対していたんだ。
あのやさしいおかあさんが、あれだけこまった顔をして、「うえないで。うえないで。竹なんてうえるとあとでこまったことになるから、うえないで」と言っていたのだ。本来ならおこるのはおかあさんのほうで、親父じゃない。
けど、親父は、きちがいだから、自分のやっていることに文句を言われた……抗議をされた……ということで、怒り狂ってしまう。発狂してしまう。そして、発狂して、めちゃくちゃな意地で、やってしまう。
からだが、まっかっかだよ。竹をうえると、根がのびて、いろいろなところにタケノコがはえて立派な竹になってしまうということが、わかっている。わかっているから、おかあさんがやめてくれといった。
そして、その通りになった。
基本、頭が正常な人なら、「自分が意地をはってうえてしまったけど、たしかに、竹がふえすぎてこまったな」と思うはずなんだよ。
この、竹をうえるときは、無口バージョンで、「ふえないよ!!ふえないよ!!」と絶叫したわけじゃない。けど、「ふえないよ!!ふえないよ!!!のびないよ!!のびないよ!!」と絶叫してもおかしくない。ようするに、反対のことを絶叫する場合も、無口である場合も、おなじなんだよ。
まあ、緘黙バージョンも否定語バージョンも、きちがい親父の頭の中で起こっていることには、あんまりかわりがないわけ。
で、きちがい兄貴のヘビメタ騒音というのが、まさにそれなんだよなぁ。
きちがい兄貴の場合は、ほとんどが、緘黙バージョンだ。けど、否定語を絶叫している場合と、頭の中で起こっていることは、かわらないのである。ようするに、どれだけ、でかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしているということは、認めないわけ。
まあ、否定語バージョンなら「でかくないよ、でかくないよ」ということなのだろう。よその家ではありえないほどでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているということが、本当にわからない状態なのだ。こんなのない。
何度も言うけど、ヘビメタ騒音で自分の耳(兄貴の耳)が悪くなる前は、耳は正常だった。きちがい兄貴の場合は、緘黙バージョンだから、からだじゅうをまっかっかにして、脂汗をかいて、きちがい的な意地でやってしまうのだけど、「でかくないよ!!でかくないよ!!うるさくないよ!!うるさくないよ!!」と絶叫しているのと、かわらないのだ。
そして、これ、ほんとうに頭にくることなんだけど、ぜんぜんしずかにしてくれなかったのに「ゆずってやった」と思っているだよね。これは、緘黙バージョンじゃなくて「ゆずったゆずった」と口に出して言う。あれ、「ゆずったゆずった」と言っているとき、嘘を言っているつもりがまったくないんだよね。頭が、本当におかしい。
あんなでかい音でずっと鳴らして、一秒だってゆずらずに鳴らして、ゆずってやったと、本気で思っている。頭がおかしいんだよな。
まったく俺に迷惑をかけてないつもりで、テスト期間中も、すべての時間を使って、最大限の音で鳴らし続けんだよ。
だから、テスト期間中は、いつも、こまってたんだよ。一日に、何十回も、もめたの。俺は、一日に何十回も、きちがい兄貴の部屋に行って「うるさいからやめろ」「テストだからやめろ」と必死になってどなっていたのだよ。あれで、緘黙バージョンで無視して鳴らしていて、本当に、でかい音で鳴らしていたつもりがないわけだからな。
* * *
あとは、理解度の低い人が「どなっちゃだめなんだ」とか「どなるからだめなんだ」とかと言うわけ。あとだしなんだよね。こっちが「どなって言った」と言ったら、「どなったと言うことが問題なんだ」ということを言ってくるわけ。
あたかも、しずかに言えば、ちゃんとしずかにしてくれたと言いたいみたいなんだよね。しずかに言ったときもあるけど、まったくしずかにしてくれなかったよ。よその人が、勝手に、きちがい兄貴のことを決めつけて、俺に、へんなことを言ってくる。
これ、俺の側の落ち度にしなければ、気がすまない人ってなんなんだ。しかも、こいつらは、俺が兄貴や親父の悪口を言っていると思っているところがある。
これ、なんなんだ。ほんとう、わき腹を刺されたような気持ちになるよ。
どれだけ、ひどいことをされてきたか、ぜんぜんわかってない。
こういう理解度が低いやつも、問題がある。
そりゃ、常識的な人は、きちがい家族の性格について、正確に理解することはできない。だから、常識的な人は、自分の常識のなかで考えて、俺の言ったことを、自分なりに修正して考えてしまう。けど、ただ単に、兄貴の性格や親父の性格について、常識的な人がわかってないだけだから……。事実はちがう。