2024年2月15日木曜日

この「いきがたさ」は、普通の人間である家族と一緒に住んだことしかない人間には、わからない

家族によるものすごい騒音の意味が、みんなわかってない。ぜんぜんわかってない。「騒音」だと思ってしまうのである。

けど、これは、ちがう。単なる騒音じゃない。

家族が、きちがい感覚で鳴らしているということが重要なのである。これ、ほんとう、ものすごい音で鳴らしているのに、本人は、たいしてでかい音で鳴らしていつもりがない状態なのだ。

つもりがないというのが、普通の人の感覚ではわからない。

そして、つもりがない本人も、本人を無意識的なレベルでだましているために、わからない。『頭隠して尻隠さず』という感じなのだけど、本人が、この体勢をとっているという感情がない。認識がない。感覚がない。

なので、感覚が正常なら、絶対にわかることを無視してやっているということになる。

感覚が正常なら絶対に絶対にわかることを、本人が、ガン無視してやっている。

本人は、どれだけやっても、やったつもりがないということになっている。

ほんとうに、「やったってやってない」のである。

この、きちがい感覚が成り立っているということが重要なんだよ。

うそをついているのだけど、うそをついているつもりがない。物理的にでかい音で鳴らしているのに、物理的にでかい音で鳴らしているつもりがまったく、まったく、まったく、まったくない。

これが問題なのである。

そして、さらに、きちがい兄貴は、きちがい親父と感覚がおなじなので、「ゆずってやる」ということもできないのである。ほんとうは、まったくゆずってないのに、「ゆずったことにしてしまっている」のだ。

これも、ほんとうに、腹がたつ。

こういうことを、芝居でやっているのではなくて、すべて、ほんとうにやっているのだ。芝居じゃない。普通の人なら、「やたってやってない」とか「ゆずってやらなかったのに、ゆずってやったことにしてしまう」とかということが、ないのである。

こんなのやろうと思ったってできない。

やる場合は、芝居になってしまうのである。

そういうふりをしているということになる。

ところが、うちの兄貴のような……感覚器を書き換えてしまうタイプのきちがいだと、ごく普通にそういうことができるのである。そういうことが「必要なとき」は、二四時間中二四時間、いつでも、そういうことをしてしまうのである。一三時間二〇分鳴らせるなら、一三時間二〇分そういう態度で鳴らしているのである。

絶対に、一三時間二〇分鳴らすのである。

本人が満足できる、ものすごくでかい音で鳴らすのである。

よその家では、一分間だって続かないようなでかい音で鳴らすのである。

絶対にゆずってやらないのである。

一分だってゆずってやらないのである。

そういう脳みその障害を抱えているのは、きちがい兄貴のほうなんだよ。けど、やられたことが、障害を抱えることになる。そして、普通の人は、きちがい兄貴のきちがい感覚を、無視するので、「言えば解決するようなもんだいだ」とおもってしまうのである。家族の間で、テレビの音やステレオの音をめぐってケンカしたことが、人生のなかであるのだろう。

そういうものだと思ってしまうのである。

ところが、その人たち……普通の人たちの家族は……感覚器を書き換えてしまうような家族ではないのだ。だから、感覚器を書き換えてしまうような家族のメンバーがやる、騒音は、経験したことがないのである。騒音どころか、すべてのケンカにおいて、すべてのもめごとにおいて、感覚器を書き換えてしまうような家族を相手にしたことがないのである。

感覚器を書き換えてしまうような家族というのは、そういう脳みそを搭載しているから感覚器を書き換えてしまうことができるんだぞ。

一日、二四時間中、二四時間、そういう脳みそを搭載して生きている。

常にそうなんだぞ。

そうなると、一般の人……感覚器を書き換えてしまうような家族に、一分間ですらやれたことがない人たちは、感覚器を書き換えてしまうよう家族が、一日、二四時間中、二四時間、そういう脳みそを搭載して生きているということの『真の意味』がわからないのである。

これは、ほんとうにわかってない。

しくみはちがうけど、「無視の度合い」がきちがい兄貴やきちがい親父とおなじになる。

ただ単に経験がないだけなのだけど、俺の言っていることを無視してしまうのである。

頑固に無視してしまうのである。

「そんなのは、ほんとうのことじゃない」と感じてしまうのである。「あったとしても、たいしたことじゃない」と思ってしまうのである。「そんなのは、無視すればいい」という感じてしまうのである。ところが、きちがい家族のきちがい行為は、無視できない行為なのである。たとえば、きちがい兄貴のヘビメタ騒音とか、きちがい親父のネズミを餌付けする行為とか……。

*     *     *

一三時間二〇分というのは、「じゅうさんじかん、にじっぷん」ということ。

「にじゅっぷん」と書きたいところだけど、書くとなると、「にじっぷん」のほうが、正しいとされているのである。

ただし、「にじゅっぷん」でもいいということになった。「にじっぷん」のほうが、まちがっているような感じがするよなぁ。「にじっぷん」と書くと、書きまちがいだと思う人がいるかもしれないけど、「にじっぷん」と書くことになっている。

けど、「にじゅっぷん」でもいいと、ルールがかわった。ルールを決める人たちが、「にじゅっぷん」でもまちがいではないということにした。なので、まちがいではない。

ともかく、一三時間というのは「いちじかんからさんじかん」ということではなくて、「じゅうさんじかん」のことだから……。一日に一三時間(じゅうさんじかん)もあんなでかい音で鳴らして、まったく悪く思わないというのが、おかしいのである。

「普通の人間」ではないのである。

「普通の人間」ではない人間がやったことを、「普通の人間」は、「普通の人間」がやったことだと思って、俺に、いろいろなことを言ってくるのである。

けど、普通ではない人間がやったことなので、「普通の人間」がやったことだと思うのは、その時点でまちがっている。

きちがい兄貴が「普通の人間」であるという前提自体がまちがっている。

けど、普通の人は……きちがい家族にやらたれことがない人は……どうしても、きちがい家族にやられた人の話を聴くとき、そのきちがい家族にやられた人のなかに出てくる、家族の一員が、普通の家族の一員だと思って、物事を考えてしまうのである。

こういうところにも、「普通の人間」ではない人間にやられた人間の、「いきがたさ」がある。

この「いきがたさ」は、「普通の人間」である家族と一緒に住んだことしかない人間には、わからない「いきがたさ」なのである。

けど、「普通の人間」が多いのだから、「普通の人間」の意見というのは、常に、「普通の人間」と一緒に住んでいた人間の意見」なのである。

「普通ではない人間と一緒に住んでいた人間の意見」というのは、最初から、前提として、思考のなかで、無視されている。「普通の人間」の思考のなかで、無視されている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。