初期値というのは重要だ。ところが、初期値を無視して、あーだ、こーだと言うのだ。
たとえば、裕福な家の子供に生まれた人は、おカネがある。貧乏な家の子供に生まれた人は、おカネがない。条件によって差がある。
けど、その差をガン無視して、「おカネが好きな人のところにはおカネが集まってくる」というようなことを言ってしまう。ようするに、おカネをどのくらい好きかということが、おカネの量……その人がもっているおカネの量を決める……というようなことを言うのだ。
けど、生まれの格差はある。あらゆる点で、親がお金持ちなら、子どものほうも所持金が増えやすい。親が貧乏なら、こどものほうも、所持金が増えにくい。
たとえ、ある子供が成人したあと、事業に失敗して、おカネがない状態になったとしても、全体的なことを言えば、おカネがある親のもとに生まれた子供のほうが、おカネがない親のもとに生まれた子供よりも、おカネをもっている確率が高い。
人生全体において、そうなる確率が高い。
もちろん、例外はある。
しかし、全体的な傾向としては、親のカネという条件が、カネが好きかどうかよりも、実際の所持金に影響をあたえているのである。まあ、所持金というのを資産と言い換えてもいい。
ほんとうは、生まれながらの条件の差が「その」差をうみだしているのに、ほかのことを持ち出して、ほかのことの差が「その」差をうみだすということを言う人が多すぎる。
たとえば、「ただ、おカネが好きかどうかが、おカネの量に影響をあたえる」と言うのだ。ようするに、性格なり、思いようで、どうでもなることが主要な原因だというのだ。そして、この場合、生まれの格差、あるいは、条件の格差は、ガン無視されている。
精神世界の人は「ちょっとした考え」が、実際の格差をうみだすようなことを言うけど、本当は、実際の格差というのは、現実的な『条件の格差』がうみだしている。
条件の格差のほうが、重要な因子なのに、重要な因子は、ガン無視して、「ちょっとした考え」が重要な因子だと言いはるのだ。現実的な『条件の格差』を無視することは、最初から、うめこまれていることだ。無視されなければならないのである。
現実的な『条件の格差』を無視することで、その文言(もんごん)が生きてくる。
たとえば、言霊主義者は、生まれの格差を無視して、「ちょっとした発言が、その差をうみだす」と言うのである。「おカネがある」と言うことが、実際におカネがあるかどうかの差をうみだすと言うのである。
けど、もう、生まれながらの条件の格差が、時系列的に『生長』して、もっとでかい格差をうみだしている。もっとでかい『条件の格差』をうみだしている。
個人において、じつは、条件というのは、無視できないものだ。現実を考えるなら、その個人が、現実の格差を無視しても、他人が、現実の格差を無視しないということになる。その個人の格差というのは、その個人の属性になっている。
だから、他人は、その個人を「そういう人だ」とみなすことになっている。その個人を、そういう属性をもつ人だと認知・認識するようになっているのである。
そして、他人の認知・認識が、現実をつくりだしているところがある。他人の認知・認識は、ただ単に、他人の認知・認識なのではなくて、他人の行動に影響をあたえるものだ。他人の認知・認識にしたがって、他人が行動する。
その場合、他人の行動の影響をうけることになる。他人の行動というのは、自分に対する他人の行動という意味だ。ようするに、他人の行動は実際の出来事に影響をあたえる。たとえば、無職に対して悪い認知・認識をもっている他人が多数いたとする。
その場合、無職である人は……つまり無職属性をもつ人は、他人から攻撃をうけやすい。その無職属性をもつ人が、「いいことがある」「いいことがある」とどれだけ事前に言っていても、実際には、無職に対して悪い考え(偏見)をもってる他者が、無職属性をもっているものに悪い行動をすることが多い。
無職属性をもっている人が「いいことがある」「いいことがある」と念じていても、それとは関係なく、他者の無職に対する攻撃的な行動が発現するので、実際には、無職属性をもっている人は、不愉快ことを経験しやすいのである。
「いいことがある」「いいことがある」と明るいことを考えていても、それとは関係なく、多くの他者が攻撃的なことを言い、攻撃的な行動をするので、不愉快な思いをしやすいのである。
属性が(多くの他者から見て)悪い人は「いいことがある」「いいことがある」と明るいことを考えていても、不愉快な出来事を経験する確率が、属性が(多くの他者から見て)悪くない人よりも、高いのである。
これはちょっとわかりにくいかもしれない。まえに書いたことを読めばわかるんだけどなぁ。
まあ、今回言いたいことは、精神世界の人は「生まれの格差」をガン無視して、ちょっとした発言やちょっとした行為で、現実をくつがえすことができるようなことを言うけど、それは、まやかしだということだ。
これ、詐欺的な説明なんだよ。一番重要な要素を無視して、ちょっとした「おまじない」で、現実をかえることができるというようなことを言う。これ、嘘なんだよ。