普通のストレス反応で処理できるものをソフトウエア的な問題だとする。普通のストレス反応で処理できないものをハードウエア的な問題だとする。
この、ソフトウエアとかハードウエアとかというのは、比喩的な表現だ。また、器質的な変化を生じさせる出来事はハードな出来事だとする。
器質的な変化を生じさせない出来事をソフトな出来事だとする。過去無関係論者というのは、ハードな出来事とソフトな出来事を、混同している。ごっちゃにして考えている。彼らが例として考えるのは、ソフトな出来事だ。そして、すべてが、ソフトな出来事だと思ってしまうのだ。そして、人に助言をするタイプの過去無関係論者は、言霊主義者とおなじように、他人の現実を無視する傾向がある。
比喩的な言い方だけど、調節弁そのものがこわれてしまったのかどうかというのは重要な問題だ。ちがいがある。調節弁がこわれていなときの一時的な不調と、調節弁そのものがこわれてしまった場合の長期にわたる不調はちがう。
調節弁そのものがこわれてしまった場合は、こわれてしまったあとずっと、影響をうける。器質的な変化が生じたので、器質的な変化がしょうじた部分が、もとの状態にもどるまでは、症状がしょうじる。
この調節弁そのものがこわれてしまったのかどうか、ということは、非常に重要な問題だ。
ホシオメタシスの範囲で、普通に人間の身体状態は変化している。けど、その変化と、器質的な変化は別の問題だ。たとえば、失恋による一時的な混乱や苦しみは、ストレス反応によって処理できるものだ。これは、たしかに、短い時間の範囲で見れば、物理的な状態に変化がある。けど、調節弁がこわれていなければ……つまり、器質的な変化が生じていなければ……ストレス反応内の変化なのである。ようするに、ホシオメタシスは保持されている状態だ。しかし、たびかさなるストレス刺激によって……調節弁がこわれてしまった場合は……つまり、器質的な変化が生じてしまった場合は、ホシオメタシスが保持されてない状態になる。調節弁が働いている状態での変化なのか、それとも、調節弁がこわれたあとの変化なのかは、実際に形成される症状に影響をあたえる。