2024年2月25日日曜日

この、むだな譲歩というのは、きちがい兄貴でもおなじだ。

ともかく、押しの強いやつに関しては、どなりちらさないとだめだ。どなりちらして、どうしても、相手が相手の思ったとおりにするというのであれば、契約を破棄しなければならない。こういうやつらが、「だいじょうぶだ」と言って、「だいじょうぶだった」ときがないんだよな。責任をとらない。おやじみたいに無責任ではないから、普通の状態では、責任をとるのだろうけど、入院して責任をとれない状態になっている。きちがい親父とおなじことになってしまうんだよな。相手が工事をして、工事の結果、ネズミがはいってくるようになったら、また工事をして、責任をとる。けど、入られたあとに、工事をしても、相当に打撃がある。これ、長期間にわたって何回もネズミの侵入をうけた人じゃないとわからないと思うけど、何回も侵入をうけたあとは、一度でも、侵入をうけたらダメなのである。ネズミの糞とダニがリセットされてしまうのである。また、ネズミの糞処理とダニ処理をしなければならなくなるのである。そういうことがあって、別の業者に頼もうかなと思って、見積もりを頼んだとき、「蚊に刺された」と言われてしまうのである。これは、ふいうちだった。けど、親父が、きちがい的な意地で、竹を植えたのである。植えたのは、何十年も前だけど、親父が、きちがい的な意地で植えたのである。しかも、植えるときに、おかあさんが「竹なんて植えると、こまったことになるからやめてくれ」「竹の根っこが、そこらへんにのびて、竹の処理が出なくなるからやめてくれ」ということを言って、やめさせようとしたのに、「そんなのはなんだ」というような気持ちで、発狂して、植えてしまったのである。それで、植えたあと、おかあさんに……あれだけ反対していたおかあさんに……「どうだ、うまくできただろ」とか言っているんだよ。まったくわかってない。相手がどんな気持ちかまったくわかってない。おとなしいおかあさんが、あれだけ反対したのに、脂汗をかいて、真っ赤な顔をして、きちがい的な意地で植えてしまった。この時は、じつは、なにも言ってないんだよ。親父が竹を植えるときの態度と、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らすときの態度は、まったくおなじなんだよ。そして、「やめてくれ」と言われたときの態度がまったくおなじなんだよ。そして、やりきったあとの(やめてくれと言ってきた相手に対する)態度がまったくおなじなんだよ。殺さなければやめさせることができないような態度で、きちがい的に腹をたてて、やってしまうのに、本人はまったくつもりがないのだ。やってしまえば、やってないことになってしまう。やりきることができれば、やりきることができたわけだから、そのときは、こだわりがなくなるのである。相手の立場に立って考えると言うことが、まったくできないので、相手の気持ちというのは、最初から最後までないのである。相手が言ってきたことは、ちゃんと理由まで理解するのではなくて、なんか、予感のようなものとしてあつかわれるのである。ようするに、意味内容はわからないけど、ともかく、自分がやりたいことを妨げるようなことだということは、わかるので、それで発狂する。きちがい的な意地でやってしまう。やってしまったら、もう関係がない人になってしまって、相手が「やめてくれと言ったのに」やったという記憶がない状態になってしまう。無意識的なレベルでは、相手が言っていることを理解して、もし、相手が言っていることを認めてしまったら、自分がその行為をやめなければならないと言うことまで理解しているのだ。けど、意識的なレベルでは、そうではない。意識的なレベルでは「なにかいやなこと」「なにが不愉快なこと」を言われたという感じで、相手の気持ちや、相手がこまる理由というのは、一切合切、認知のなかに入ってない。認知されてないのだ。だから、「やったって、相手はこまらない」という前提が、意識のレベルでは成り立っているのである。相手は、きちがい兄貴やきちがい親父が「それ」をやるとこまるから「こまるのでやめてくれ」と言っているんだよ。それが、全部ぬけおちている。何万回、言ったって、ゼロなのである。きちがい兄貴もきちがい親父も、頭の構造がおなじだけど、きちがい親父の場合は、きちがいヘビメタというひとつのことを、ずっとやっていたわけではなくて、いちおう、ばらけている。けど、竹に限定しないで樹木ということにすると、やはり、植えてほしくない家族がいるのに、がんがん植えてしまう。そして、きちがい親父ではない家族が、きちがい親父に「木を切って」と言うと、やはり、おなじ反応が返ってくるのである。ようするに、「木を切って」と言われたら、発狂して木を切らないと言うことになる。「木を植えないで」と言われたら、発狂して、木を植えてしまう。「ここのところを切って」と言われたら、「ここのところ」は切らないで、きちがい親父が切りたいところを切って「切った切った」と言って、相手の要望をしりぞけてしまう。「やってやった」「やってやった」系列のことだ。相手がたのんだことではなくて、自分がやりたいことをやって「やってやった」「やってやった」という気持になる。この、むだな譲歩というのは、きちがい兄貴でもおなじだ。まるで、意味がないレベルだけ音をさげて、「ゆずったゆずった」と言うのだ。まったく意味がないのに、ゆずってやったつもりになってしまう。こっちにとっては、まったく意味がないことをされて、「ゆずってやった」と言うことにされてしまうのだから、腹がたつだろ。そういう態度は、腹がたつだろ。けど、相手をムカつかせるためにそういうことをわざとやっているのではなくて、ごく自然にそういうことをすることになっているのである。ニセの譲歩しかしないのだけど、本人は、譲歩してやったつもりになれるという、きちがい行為をする者にとってだけ都合がいい対象方法なのだ。譲歩になってないということを、これまた、きちがい的な意地で、認めないのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。