「過去は関係がない」という思考は、「目の前のことに集中すればいい」という思考とむすびつきやすい。「過去は関係がない」「目の前のことに集中すればいいんだ」というのがひとつのセットになっている。
これは、目の前のことに集中させて、奴隷労働をさせる側の理論だ。
そして、奴隷労働をするほうも、洗脳されて、そういう考えをもっているのである。
だから、奴隷身分の人が、奴隷身分の人に「過去は関係がない」「目の前のことに集中すればいいんだ」と言って、無理なことをおしつけるようになるのである。
「目の前のベルトコンベアに集中すればいいんだ」とか「目の前の作業に集中すればいいんだ」とかということなのだ。
これは、支配者側が考えて、ブラック経営者や成功者を使って、はやらせた考え方だ。
過去の作業でつかれたとする。その過去の出来事が、どのくらい過去のことなのかは、問題にしないとする。
ともかく、過去の出来事でつかれたとする。
けど、過去の出来事を無視すればどうなるか?
妄想理論にしたがえば、効力をなくすことになるのである。だから、気持ちを切り替えて、目の前の作業に集中すればいいということになる。
過去の出来事でつらい思いをしたとする。
だから、仕事をするのがつらいとする。
その場合、気持ちを切り替えて、目の前の作業に集中すればいいということになる。目の前の作業に集中すれば、つらい記憶なんて、頭に浮かばなくなる。なので、目の前の作業に集中すれば、過去の出来事は関係がないことになる。……これが、過去無関係論者の言いたいことだ。
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ところが、器質的な変化をすでにうみだしているものは、意識的に無視しても、効力がまったく消えないのである。ここに、「だまし」がある。
彼らにしてみれば「器質的な変化」なんて関係がないのである。彼らは、器質的な変化については積極的に無視して、全部、器質的な変化をうみださない過去の出来事にしてしまうのである。
だから、「気分の持ちようで、どうにでもなる」ということになる。
妄想理論のなかでは、過去の出来事というのは、気持ちの持ちようで、どうにでもなることになるのである。妄想理論のなかでは、すべての過去の出来事が気持ちの持ちようでどうにでもなることになっているのである。
そういうところに、「だまし」がある。トッリクなんだよ。トリックに気がつけ。