きちがいヘビメタにやられた俺に対する、他人の態度というのがひどかったなぁ。ほんとうに、なめくさりやがって。ほんとうに、頭にくる。
他人は、たしかに、ヘビメタ騒音を鳴らしていた犯人ではない。
他人は、たしかに、ヘビメタ騒音には、かかわってない。
けど、ゆるせない。けど、ゆるせない。きちがいヘビメタ騒音にやられて、できなくなった俺に対する、ヘビメタ騒音に関してはまったく関係がない他人の態度が、ひどかった。
もう、書いておく。これが、現実だ。
それじゃあ、そういうことを、言霊で解決できるのかというとできない。まったくできない。
けど、解決できるということを言ってくる、幼稚な人が、あとからあとから出てくる。
いい気なものだ。論理的にまちがっているのに、理論的まちがっているということを、認めない。妄想を語りだす。その妄想が、俺をくるしめるのである。
ヘビメタ騒音で「ひくいたちば」になっているので、妄想のはけ口になってしまうのである。あっちは、いいことをしているつもりなのである。ちゃんとした助言しているつもりなのである。けど、妄想なんだよ。妄想なの。
けど、妄想だということを、妄想を語っているやつは認めない。
「真実だ。真実だ」と言う。
そして、「ヘビメタ騒音が鳴っていたんだな」ぐらいの理解しか、自分(妄想発言の主)がしてないということがわかってない。
ようするに、ヘビメタ騒音が鳴っていたということは、ひとごととして、理解しているのだけど、ヘビメタ騒音の影響に関しては、まったく理解してない状態なのである。
ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだけど、ヘビメタ騒音の影響を無視しているということがわかってない状態なのである。ヘビメタ騒音の影響を無視するということは、きちがい兄貴もやったことだ。
きちがい兄貴と、まったく関係がない妄想を口走る他人は、ヘビメタ騒音の影響を無視するという点では、おなじなのである。
他人という他人が、この妄想を口走る言霊論者みたいなものなんだよ。
他人の理解なんて、そんなもの。
他人の、ヘビメタ騒音に関する理解というのは、そういうレベルだ。
だから、おなじことを話しているようで、まったくちがったことについて話しているということになるのである。
俺の側の、真実のヘビメタ騒音と、他人の頭のなかにあるヘビメタ騒音が、ちがいすぎるんだよね。