そりゃ、数千日も毎日やられたら、数千日、毎日やられてないやつには、絶対わからないことがしょうじる。
そういうことなんだろうなぁ。
数千日、毎日やられてないやつが、「たいしたことじゃない」「過去は関係がない」「自分なら大丈夫」と思って、こころないことを言ってくるんだよね。
まあ、言っているやつらは、俺を見下しているので、こころないことを言っているつもりはないよ。
きちがい家族が、きちがい感覚で、よその家ではやらないことを、絶対の意地で数千日やり続けてしまうと、よその人には、絶対にわからない効果が、心身をおそうことになる。
けど、よその人には実際になかったことだし、よその人にはわからないことなので、よその人は『無』『影響なし』として、あつかうのだ。
「そんなの、あったって、なくたって、おなじ」……。こういう考えが前提として成り立ってしまう。きちがい家族によるヘビメタ騒音が数千日続くと、働けなくなるのに、きちがい家族によるヘビメタ騒音が数千日つづいても、働けるという前提でものを言ってくるやつが出てくる。いっぱい出てくる。
だいたい、九五%ぐらいかな。ぼくの知りえる範囲だと九五%だな。そんなもの。みんなそんなもの。
そうなると、特殊な家族のもとに生まれた人が、不幸な思いをすることになるのである。
「俺を見下しているので」と書いたけど、どうして彼らが俺を見下しているのかというと、無職だからだ。働いてないからだ。「働けるのに働かないのは、人間としておかしい」と、彼らは考えるのだ。
「働ける」という前提は、「ヘビメタ騒音の影響なんて、あったってない」「ヘビメタ騒音の影響なんて、たいしたことじゃない」「過去は関係がない」「自分なら大丈夫」という考えの上に成り立っている。
だから、「エイリさんは働けない人ではなくて、働ける人だ」と、彼らは思うわけだ。「ヘビメタ騒音なんていうのは、いいわけだ」と思うわけだ。
けど、そういう事態がしょうじているのは、まさに、ヘビメタ騒音が数千日にわたって鳴っていたからなのである。
その数千日、ぼくがめげずに、生きてきたからなのである。最大限の努力をして、生きてきたからなのである。