きちがい兄貴が、きちがい兄貴の基準で、意地を押し通して、四六時中ずっとヘビメタを鳴らすとなると、本当に、勉強する時間や眠る時間がなくなってしまうのである。比喩的に、一〇〇〇〇〇〇〇ぐらいのマイナスだということにする。
けど、そういうことを、実生活のなかでされてない普通の人は、自分がされてないので、比喩的に言うと、せいぜい一(いち)ぐらいのマイナスなんだろうと思うわけ。あるいは、自己中である人は、マイナスゼロだと思ってしまうわけ。
けど、実際に、学校から得ったあと、ずっと、本来なら眠る時間まで、ヘビメタ騒音が、あの音でかさで鳴っていると、勉強ができなくなるんだよ。宿題すら、できないわけ。
アドラー的な考え方をする人は、本当は、宿題をやりたくないから、ヘビメタ騒音で宿題ができないと、いいわけをしているだけなんだと考えるわけ。けど、本当に、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ……あるいは、鳴っていたとしても、フォークギターぐらいの音のでかさで鳴っているなら……宿題なんて一時間から二時間ぐらいでできたことなんだよ。
宿題をやっても、まだ、自由時間の余裕があるレベルなんだよ。
それが、どれだけがんばってもがんばっても、宿題ができないということになる。
しかも、宿題ができない時間、ずっと、ヘビメタ騒音にやられて、はげしくくるしいのである。
ただ単に「宿題をやらなかった」時間ではなくて、「それだけでマイナス」である時間なのである。「それだけでマイナス」というのは、ただ単に、ヘビメタ騒音のなかで生きているだけで、マイナスだという意味だ。
ヘビメタ騒音を浴びせられて生きている時間というのが、マイナスなのだ。これも、やられてない時間は、たいしたマイナスではないのだろうと(普通の人は)考えるのだけど、ものすごく、マイナスなんだよ。
ヘビメタ騒音で激しくつかれているのに、まったく眠れないという状態になる。このつかれているのに眠れないという状態は、ヘビメタ騒音以外の理由でつかれているのに眠れない状態とはちがうんだよ。しかし、ほかの人は、ごく自然に、自分の眠れない状態と、ぼくのヘビメタ騒音で眠れない状態がおなじような状態だと思ってしまう。
日中、緊張するような事件があれば、だれだって眠れない……。そういうふうにくくってしまうと、ぼくの体験とはちがったことを意味していることになる。ヘビメタ騒音にさらされ続けて、部屋にいるというのは、ただ単に、想像しやすい正当な理由?があって緊張しているのとはちがうんだよ。質がちがうんだよ。
日中、緊張することをすればだれだってつかつれる。あるいは、日中、緊張することをすれば、眠りたいのに眠れない状態になることがある。けど、両方とも、きちがいヘビメタでもたらされた緊張とは、質的にちがうのである。
中立的な緊張することで、つかれているのではないのだ。ニュートラルじゃない。ヘビメタ騒音がもたらす緊張が、そもそも、毒緊張なのである。