「過去は関係がない」と言う人は、ぼくが言ったことを認めるかというと認めないのだ。せっかく、助言してやったのに、わからず屋のエイリさんがからんできたと思うのだ。
ぼくの説明について、そう感じてそう思うのだ。
けど、わからず屋は「過去は関係がない」と言う人だ。
ともかく、こういう人は、悪属性付与主義者とおなじように、きちがい家族によるヘビメタ騒音が原因で、「できなくなった」ということを無視する。認めない。
俺が説明したあとも、その部分は認めないのだ。
過去無関係論者は、同時に、言霊主義者である場合が多い。過去無関係論者であって、言霊主義者である人は、「できると言えばできる」と言って、現在の影響について無視する。
ちなみに、過去無関係論者は、言霊主義者とおなじように、矛盾を抱えている。人には、「過去なんて関係がない」と言うけど、自分のことに関しては、普通に、過去と現在を関連付けて考えているのだ。矛盾している。
さらに、過去無関係論者は、自分が尊敬する人に関しても、過去と現在を関係づけて考えている。尊敬する人の過去の生き方を知って、尊敬するのだ。尊敬する人の過去のエピソードや過去の発言を考えて、尊敬するようになったのだ。ようするに、経歴を重視している。
ところが、弱っている人には、「過去は関係がない」と言って、無理なことを要求する。そして、その弱っている人にとって「それ」が無理なことなのだということを、どこまでも認めない。
過去無関係論者にとってみれば、その弱っている人がその弱っている人の過去を無視すれば、過去の出来事が現在に影響をあたえないようになるはずなのである。「過去の出来事が現在に影響をあたえないようになる」というのは、「弱っている人の現在の状態に、過去の出来事が影響をあたえないようになる」ということだ。
弱っている人が「弱っている人の過去の出来事」を無視すれば、「弱っている人の過去の出来事」が、現在の状態に影響をあたえないようになると思っているのだ。
これは、「元気になると言えば元気になる」といったように、言うことだけで、過去の出来事に関係なく、元気になると考える言霊主義者の考え方とおなじだ。
しかし、数千日の出来事によって、器質的な変化がしょうじた場合は、どれだけ言ったって、もとどおりにはならないのである。
それとおなじように、器質的な変化がしょうじた場合は、どれだけ過去の出来事を無視したって、もとどおりにはならないのである。
言霊主義者は自分の現実的なことに関しては、言霊思考をしてないし、過去無関係論者は、自分の現実的なことに関しては、過去の出来事を重視して、過去の出来事を無視していないのである。
自分が、普段、どういうふうに思考しているのか、本人が、意識していないのである。だから、矛盾に気がつかない。
それは、「言ったことが現実化する」と言ったあとに「どれだけ瞬間移動できると言ったって瞬間移動なんてできるわけがないだろ」と言っても、矛盾を感じないのとおなじことなのである。
人のことは、まさしく「ひとごと」なので、自分にとっての現実ではない。なので、現実感がめちゃくちゃにうすくなり、対象となる人が、過去を無視すれば、過去の影響がなくなると(過去無関係論者は)思ってしまうのである。