きちがいではないけど、バカだからわからないということがある。バカではないけど、経験がないからわからないということがある。きちがい家族のことは、ほかの人は経験がないからわからない。どうしてかというと、きちがい家族と一緒に住んでいるわけではないからだ。そして、「家族というものはこういうものだ」「人間というものはこういうものだ」「人間はそういうことはしない」というような考え方があるのである。この考え方は自我に直結した考え方だ。もうすでに、説明したから、ここでは簡単に書くけど、「そうではないケース」について言われると、自我が不安定になり不愉快感を感じるということになっている。なので、きちがい家族にやられた側の話というのは、普通の人……きちがい家族と一緒に住んでない人にとっては、自我をおびやかす、不愉快な話なのだ。そういうことをきくと、自我の安定度がなくなり、「そういうことがある」ということを前提にして自我をつくりなおさなければならなくなる。なので、不愉快なのだ。なので「なに、わけのわからないことを言っているんだ」「そんなの(お兄さんに)言えばいいだろ」と感じてしまう。「だから、何度も兄には、言った」ということを何度も言っても、こいつらの「自我に対するゆさぶり」は消えないので、怒ったままになる。
これ、普通の人は、きちがい家族の話を聞くと、自我が不安定になり、言った人を攻撃したくなるのである。「なにか不愉快な話を聞かされた」と思うのは、自我が不安定になるからだ。これは、ただ単に愚痴を聞かされたということではない。自分が自分の経験の範囲内でわかる愚痴と、自分が自分の経験の範囲内ではわからない愚痴はちがう。ただ単に愚痴を聞かされた場合は、ただ単に不愉快になるだけで、自我は挑戦をうけてない。自我は不安定になっていない。だから、きちがい家族の話というのは、「ただ単に愚痴を聞かされた」場合とはちがう反応が出てくる。
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あーー。けど、こういう話は、むずかしすぎて、バカには、わからない。まったく、わからない。