2024年1月15日月曜日

「人間ができることなら、できると言えばできる」

 まあ、言霊主義者は「瞬間移動とか、死者をよみがえらせるとかというようなことじゃなくて、人間ができることなら、言えばできるようになる」と言うかもしれない。

けど、これがちがうんだよ。

人間にとって不可能かどうか?

「人間にとって不可能だと普通の人が考えることにかんしては、言ったって現実化しない」と考えているのであれば、「できると言えばできる」ではなくて、「人間ができることなら、できると言えばできる」と言えばいいのだ。

なんだろうがかんだろうが、どんな条件だろうが、「できると言えばできる」というのが、ほんとうは、言霊主義者が言っていることだ。そういう意味で、言霊主義者は、じつは、無理なことを言っているのである。

ほんとうの意味では、「瞬間移動できると言えばできる」のだし「生き返ると言えば、死者が生き返る」と言っているのだ。

ところが、こういうところでは、言霊主義者も、「現実」にまけるのである。

だから、「瞬間移動できると言えばできる」とか「生き返ると言えば、死者が生き返る」とかと言うのは、はずかしいと感じている。瞬間移動や死者を生き返らせることは、普通の言霊主義者は、できないことだと認めている。

けど、ほかの人にえらそうにものを言うときは、完全に、なんだろうがかんだろうが、どんな条件だろうが、「できると言えばできる」と思っている。そういう前提でものを言っている。

相手がなにかの条件について言及すれば「そんなのは、いいわけだ」「そんなのはあまえだ」「そんなのは関係がない」と言ってしまえば、それでおしまいだ。

内側にもっている、非現実的な妄想……なんだろうがかんだろうが、どんな条件だろうが、「できると言えばできる」という……妄想は、表面に出なくてすむ。

ようするに、そういう前提でものを言っているけど、それ自身については言及しなくてもいいということになっている。

どういう前提で自分がものを言っているのかということについて、明言しなければ、自分の意見を言えないということはない。自分がもっている、内なる妄想については、言及しなくても、ちゃんと意見が言える。

そういう「前提」でものを言うことができる。

「人間ができることなら、できると言えばできる」とか「人間ができることなら、できると言えばできるようになる」とかと、トーンを落としてもむだだ。

人間ができることでも、すべての人間ができるわけではないからだ。

たとえば、走り幅跳びで八メートル以上とぶことを考えてみよう。

オリンピックのような大会では、走り幅跳びで八メートル以上とべる人は、何人かは、いる。彼らは人間だ。だから、「人間は、走り幅跳びで八メートル以上とぶことができる」と言えるのだろうか?

言えない。

人間という集合のなかには、さまざまな人間がいるんだよ。

人間は、ひとりひとりちがうんのだよ。

たとえば、Aさんと、BさんとCさんがいるとする。Aさんができることは、Bさんもできるか?

いや、Aさんが人間で、Bさんも人間だから、Aさんができることは、Bさんもできる……という推論はまちがっている。

AさんもBさんも人間でも、Aさんができることと、Bさんができることはちがう。もちろん、AさんもBさんも両方ともできることはある。

けど、それは、『人間だから』ではない。

AさんができるからAさんができるわけだし、BさんができるからBさんができるわけだ。Cさんができなかったら、Cさんは人間ではないということはない。

人間だから、できるわけではないのだ。

基本的にそういう問題がある。

言霊主義者はトーンを落として「人間ができることなら、言えばできる」と言うけど、「それじゃあ、あなたは走り幅跳びで八メートル以上、とぶことができるのか?」と問いただしたい。

「走り幅跳びで八メートル以上とぶことができる」と言えば、言っただけで、走り幅跳びで八メートル以上、とぶことができるようになるのか?

ならないでしょ。

なるんですか?
 



毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。