2024年1月6日土曜日

だから、別に、「暗いことを」を考えなくても、悪いことは起こる。(3)

どうして、暗いことを考えてないのに、暗いことが起こるかというと、自分の思いとは関係なく、他者が行動し自然現象が発生するからだ。

他者と自然現象が、「暗いこと」を発生させる。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんはアパートの管理人で、大学中退者に対して偏見があるとする。Bさんは、大学生だったけど、大学をやめたとする。Bさんにとっては、大学を中退した人は、すでに学生でなく、働いているわけでもないので、信用のおけない人間だということになる。

ようするに、Aさんは大学を中退した人に偏見がある人なのである。

そういう偏見をもっているので、大学をやめたBさんに「出ていってくれ」と言ったりする。Bさんの性格は善良で、悪いことをしようと思わない人なので、アパート代についてはちゃんと考えていたのだ。しかし、AさんにはBさんの内面がわからず、Aさんを、ブラブラした「信用がおけない人物だ」と思ったのである。

大学生のときのBさんの内面と、大学をやめたあとのBさんの内面がかわったわけではないのである。大学生のときはまじめな性格だったけど、大学をやめたときにふまじめな性格になったわけではない。けど、Aさんは偏見をもっているので、その偏見に対応した考えをもつようになる。それは、Aさんの偏見がなせるわざだ。

Bさんは、「出ていってくれ」とショックなことを言われることになる。ようするに、自分が考えていなかった「暗いこと」が発生したのである。

一般人から見ると、大学を中退した人ばかりではなく、無職全体が、悪いことをしそうな人に見えるのである。一般人は無職に対して偏見をもっているのである。なので、無職という範疇に「自分」がはいってしまった場合、どれだけ、善良な人であっても、人から、悪いことを言われたり、差別を受けることになる。

それは、無職という属性が問題なのだ。そして、一般の人の「無職に対する偏見」が問題なのだ。

ともかく、無職に対して偏見をもっている人が多い社会では、無職は、『いやな目にあうこと』が多くなるのである。無職に対して偏見をもっている人が多い社会では、無職は、『不愉快な思いをすること』が多くなるのである。

不愉快な出来事が発生すれば、それは、「悪いことが発生した」ということになるのである。そりゃ、不愉快なのだから、悪いことだ。

別に、とある無職さんが「暗いことが起こる」と思わなくても、暗いことが、頻繁に起こることになるのである。それは、まわりの人の偏見が原因で、その、とある無職さんが、「暗いこと」を考えたからではない。

けど、他者の偏見が理由だと思えない無職の人は、「暗いことを考えたから、暗いことが起こったんだ」と思ってしまう可能性がある。

どうしてかというと、「頻繁に」不愉快なことが発生するからだ。会う人、会う人、みんな、無職に対して偏見をもっているとする。その場合、無職であるだれかは、偏見にさらされることになる。

他者は、別に、無職に対して、あたりまえの行動をしているだけだと思っているので、「悪いことはしてない」と思っている。無職に対する当然の行動が、基本的に、無職者の『不幸』をつくっているのである。

みんながみんな、無職に対して偏見をもっている社会では、みんながみんな、無職に対して、つらくあたるということになる。

なので、無職は「頻繁に」不愉快な思いをすることになる。

だから、別に、「暗いことを」を考えなくても、「暗いこと」は起こる。偏見のある他者の態度や発言によって、不愉快になった場合、不愉快なことは、自分にとって「暗いこと」なので、「暗いことが起こると考えなかった場合」でも、「暗いこと」は、頻繁に起こるようになるのである。

「暗いことを考えると暗いことが起こる」という考え方のなかには、「他者」という存在が含まれていない。

「自分」が暗いことを考えると、「自分」の身の上に暗いことが発生すると考えているのである。自分の頭の中ことしか問題にしてない。

けど、自分が生きている社会には、他人がいるので、他人よって「暗いこと」がもたらされる場合があるのである。

なので、「自分の考え」では制御不可能なのである。暗いことを考えるのは「自分」だろ。

「自分」が暗いことを考えなければ、暗いことは起こらない……と考えているのである。そういう前提が成り立っている。けど、この前提がまちがっている。なので、自分が暗いことを考えてないのに、暗いことが起こる。

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 「他者と自然現象が、暗いことを発生させる」と書いたけど、自分自身が、暗いことを発生させる場合もある。けど、これは、自然現象のなかに入れておいた。たとえば、熱いものに触ってやけどをした場合について考えてみよう。この場合は、物理的な現状なのである。なので、身体を含めた物理的な存在を考えて、その相互作用によって、「暗いこと」が発生する可能性がある。自然現象と書いたけど、この自然現状のなかにはすべての物理的な現象が含まれるとする。身体を構成する細胞。細胞を構成する分子。分子を構成する原子。そういったものが、物理的な運動をして、たとえば、やけどをしたという状態をつくりだしている。

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ところで、たとえば、ヤカンにふれて、やけどしたとしよう。そのあと、「ヤカンにふれるとやけどをする」と暗いことを考える必要があるのかどうかと言えば、ある。「ヤカンにふれるとやけどをする」から「ヤカンにふれないようにしよう」と思うのである。「ヤカンにふれないようにすれば、やけどをしなくてすむ。人間は、過去の経験から、未来の出来事を推測することができる生き物なのである。「やけどをする」というのは、明るいことか、暗いことかを考えると、暗いことだ。暗いことを考えて、実際にその暗いことが起こるのをさけるのである。なので、暗いことを考えることは必要なことなのである。

いつまでもいつまでも、学習せずに、熱いヤカンにふれて、やけどをするというのは、よくないことだろ。暗いことを考えないから、何回も何回も、「暗いことを現実化」してしまうのである。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。