2024年1月22日月曜日

きちがい的に意地をはってやった行為の時間というのが、まったくぬけているのとおなじなんだよ

 やる気というのは、「やる気よ出てこい」と自分に命令すれば、出てくるものではない。これは、じつは、過去のいきさつが重要だ。繰り返された現実が重要だ。現実的な出来事の連鎖が重要だ。そりゃ、だれだって、最初はきれいごとを言って頑張るけど、そのうち、だめになる。一キロ走っている人の状態と、二〇〇〇キロ走っている人の状態は、ちがうのである。

ヘビメタがどれだけきついかわかってないなぁ。ヘビメタ騒音生活がどれだけきついかわかってないなぁ。ヘビメタ騒音生活の連続がどれだけきついかわかってないなぁ。だれにだって、苦手な音はある。ヘビメタが好きな人にとっては、ヘビメタの音は苦痛ではないけど、俺は、ヘビメタの音が苦手な音なので、苦痛だった。それも、床からの、超細かい振動が影響をあたえているみたいなのである。

きちがい兄貴が鳴らした音というのは、でかい。これは、ほんとうに、普通の家では鳴らせない。普通の家で、きちがい兄貴が鳴らしたい音で、一分でも鳴らした「うるさい」と家族が文句を言って、やめさせられる音だ。きちがい兄貴にしたって、マンションに住んでからは、持ち日に一分も鳴らせないのである。そういう音で、自分の気がすむまで、がめてがめて、全部ががめて、鳴らしていた。当時のきちがい兄貴にとっては、それで当然だったのである。もちろん、これには、きちがい親父に対する復讐心がかかわっている。これ、きちがい親父が、うちでずっとやってきたことなのである。自分のきちがい的な意地をとおして、きちがい的な行為を絶対の意地で、どれだけ家族が反対してもやりきるということずっとやってきた。そして、本人だけは、まったくそういうつもりがないのである。これ、自動機械なんだよ。爆発的な意思でやるけど、本人は、他人からどれだけなにを言われても、自分と相手が言っていることがまったく関係ないことのように思えるのである。まあ、本当は、もっとひどくて、ほんとうにほんとうに、「関係」がまったくわからない。たとえば、きちがい兄貴で言えば、自分がきちがいヘビメタをでかい音で鳴らしているわけだから、「うるさいからやめてくれ」と言われたら、相手が言ってきたことと、自分がやっていることの関係が、わかるはずなのである。ところが「やめてくれ」と言われたら、逆上して、「関係性」をぜんぶ、度返しにして、認めないまま、遮断してしまうのである。だから、本人はまったく関係がないつもりのままなのである。これがこまるんだよ。おやじが、きちがい兄貴との関係で、ハンダゴテを買ってやらないということをしたのだけど、それで相手がこまっているということは、発狂して認めないのである。「つかえるつかえる」と絶叫したら、もう、それで、「関係」が切れているのである。だから、言われるたびに、そうやって、発狂して、本人が怒り狂えば、それで、本人としては、関係がないまま、すんでしまっているのである。これが、きちがい兄貴のヘビメタとまったく同じなのである。きちがい親父の竹事件、きちがい親父の悪臭事件、きちがい親父のネズミ事件、きちがい親父のネズミ工事事件、全部が全部、そういう構造が成り立っている。で、本人は、ほんとうに、「そのとき」怒り狂うだけで、ぜんぜん関係がない人のままなんだよ。これが、こまるんだよ。「ぜんぜん関係がない人のまま」というのは、ようするに、ほんとうに、そのことに自分がかかわっている気分というのがまったくない。けど、きちがい的な意地でごり押しする。殺してやめさせないと、やめない。けど、自分がそうやって、踏ん張って、やったというつもりが、ほんとうにないんだよ。一日に一三時間、きちがいヘビメタを鳴らして、一日に四〇回文句を直接言われても、自分が、一三時間ヘビメタを鳴らさないでしずかにしたときの気持ちとおなじなんだよ。きちがい的に意地をはってやった行為の時間というのが、まったくぬけているのとおなじなんだよ。これ、こまるんだよ。

きちがい兄貴のヘビメタ騒音事件は、きちがい親父のすべての事件をあわせたものよりも、ずっとずっと大きな影響をあたえている。これ、ほんとう、みんなわかってない。どれだけ足をひっぱられるかみんなわかってない。ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音があの距離で、あの音で鳴っていると、宿題ができない。けど、宿題ができないということを、俺がほかの人に……教師を含めて……ほかの人に言っても、ほかの人は、宿題ができないということを認めないである。これ、だれだって、苦手な音があの音のでかさで鳴ってたら、できなくなる。けど、ほかの人にはきちがい家族がいないので、そういうことがない。みんな、ヘビメタ騒音の話を聴いて、フォークギターや三味線ぐらいの騒音だと思っているみたいなのだ。そんなんじゃない。普通のステレオ騒音ぐらいの騒音だと思っているみたいなのだ。そんなんじゃない。そんなんじゃない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。