2024年1月12日金曜日

条件を無視しているから、そういうふうに見えるだけ。

階段の話だと、わかりにくいかもしれないので、もうちょっと、例を出しておく。たとえば、女の人がはいている厚底のブーツだ。厚底のブーツをはくと、ころびやすくなるのである。

平たんな道なのに、厚底のブーツをはいていた女の人が、つんのめるようにころんでしまったのである。その女の人は「はずかしいーー」と言って立ち上がっていたけど、あのころび方は、ある意味、ショックだった。

ころびやすい靴と、ころびにくい靴を考えた場合、ころびやすい靴を履いているところぶ確率が高くなるのである。何回か、厚底ブーツをはいてころんだ場合、「ころんでしまう」という暗い考えが浮かぶのである。暗い考えというのは、ちゃんと、根拠がある場合が多いのである。

もうひとつ言おう。たとえば、雪の降った日の、次の日、アイスバーンができて滑りやすくなっているときがある。道路のアスファルトの上を歩くことと、アイスバーンの上を歩くことをくらべた場合、アイスバーンの上をあるほうが、ころぶ確率があがる。

これは、明るいことを考えるとか、暗いことを考えるとかとは、別のことだ。

明るいことを考えるのも自分、暗いことを考えるのも自分であり、自分の思考が、外界に一致しているわけではない。

「アイスバーンの上を歩いても、ころばない」と明るいことを考えても、アイスバーンの上を歩いたほうが、滑りやすいということは、かわらないのである。アイスバーンのほうが摩擦係数がひくいから、滑りやすい。普通の道路のほうが、摩擦係数がたかいから滑りにくい。

この、物理的な現象に、自分の思考が、影響をあたえないのである。なので、自分の思考とは関係なく、摩擦係数がひくいほうが、滑りやすい。いつもいつも、アイスバーンの上を歩いている人は、ころびやすい。

たとえば、自分がアイスバーンの上を歩くか、普通のアスファルトの上を歩くか、選択できないとしよう。

その場合、「アイスバーンの上を歩くところんでしまう」と暗いことを考えたかどうかということは、ほんとうは、関係がない。

アイスバーンの上を歩くしかない人を、Aさんだとする。アスファルトの上を歩くしかない人をBさんだとする。当然、Aさんのほうが、ころびやすい。Aさんが「アイスバーンの上を歩くところんでしまう」と暗いことを考えたから、Aさんが、特別ころびやすくなって、ころんでしまうということではないのだ。

これは、条件によって決まってしまう。

けど、頻繁にころぶとなると、ころぶという経験がつみかさなることになる。あるいは、別の言い方をすると、ころぶという出来事がつみかさなることになる。

そうなると、アイスバーンの上を歩く期間中は、「ころぶ」という暗いことに考える機会が増えるのである。

なので、思霊主義者から見ると、「ころぶ」という暗いことを考えているから、ころんでしまうように、見えるのである。これは、思霊主義者の勘違いだ。

原因は、ほかにある。原因は、アイスバーンの摩擦係数が低いことだ。

アイスバーンの上を歩くという条件と、アスファルトの上を歩くという条件を無視してしまうと、あたかも、「ころぶ」という暗いことを考えている人のほうが、暗いことを考えているから、実際にころんでしまうように、「見える」のである。見えるだけ。条件を無視しているから、そういうふうに見えるだけ。 

「ころぶ」という暗いことを考えずに、「ころばない」という明るいことを考えれば、アスファルトの上を歩いても、ころばないようになるかというと、ならない。

「ころぶ」という暗いことを考えなくても、アイスバーンの状態がかわらないなら、おなじ確率でころぶことになる。「ころぶ」という暗いことを、意識的に無視しても、アイスバーンの摩擦係数がかわらない。「ころぶ」ということを無視しても、条件がかわらなければ、おなじ確率でころぶ。

むしろ、「ころぶ」という暗いことを考えて、スパイクつがついた靴など、滑りにくい靴を履くという対策をしたほうが、ころぶ確率が低くなる。この場合は、条件がかわるのである。靴の条件がかわる。

あるいは、「ころぶ」という暗いことを考えて、注意して歩くという対策をしたほうが、ころぶ確率が低くなるかもしれない。これは、歩き方がかわるので、歩き方という条件がかわるということになる。

普通の靴(ずっと使っている靴)を使って、注意をせずに歩き、「ころぶ」という暗いことを無視したとしても、おなじ確率でころぶことになる。

自分の内なる世界から「ころぶ」という考えをなくしたとしても、条件がおなじなら、おなじ頻度で、ころぶことになるから、やはり、ころぶのである。

*     *     *

思霊主義者には、自分の内的な世界が変化すれば、それに伴って、外的な世界が変化する(はずだ)という感覚が成り立っているのである。

これは、幼児的万能感がなせるわざだ。自分の内的な世界から、「ころぶ」という考えをなくせば、それに伴って、外的な世界でも「ころぶ」ということがなくなる……はずなのである。そういう考えにとらわれている。

しかし、自分の内的な世界から、「ころぶ」という考えを消去しても、アイスバーンの摩擦係数がかわるわけではないので、外界に変化が起こらず、おなじ頻度でころんでしまうということになる。

アイスバーンの摩擦係数は、アイスバーンによってちがうだろうけど、いちおう、アイスバーンというものを考えて、それは、一種類でかわらないものとする。

たとえ、アイスバーンの摩擦係数が、おのおののアイスバーンによってちがうとしても、すくなくても、「自分」の内面にあわせて、アイスバーンの摩擦係数が、かわるということがないのである。

自分の内面にあわせて、かわってくれればよいのだけど、そういうふうにはならない。

自分の内的な世界のなかから、暗いことを消去したとしても、外的なものがつくりだしている条件がかわらないなら、暗いことがおなじ頻度でおこって、暗いことを(現実世界から)消去できないのである。


 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。