階段の話だと、わかりにくいかもしれないので、もうちょっと、例を出しておく。たとえば、女の人がはいている厚底のブーツだ。厚底のブーツをはくと、ころびやすくなるのである。
平たんな道なのに、厚底のブーツをはいていた女の人が、つんのめるようにころんでしまったのである。その女の人は「はずかしいーー」と言って立ち上がっていたけど、あのころび方は、ある意味、ショックだった。
ころびやすい靴と、ころびにくい靴を考えた場合、ころびやすい靴を履いているところぶ確率が高くなるのである。何回か、厚底ブーツをはいてころんだ場合、「ころんでしまう」という暗い考えが浮かぶのである。暗い考えというのは、ちゃんと、根拠がある場合が多いのである。
もうひとつ言おう。たとえば、雪の降った日の、次の日、アイスバーンができて滑りやすくなっているときがある。道路のアスファルトの上を歩くことと、アイスバーンの上を歩くことをくらべた場合、アイスバーンの上をあるほうが、ころぶ確率があがる。
これは、明るいことを考えるとか、暗いことを考えるとかとは、別のことだ。
明るいことを考えるのも自分、暗いことを考えるのも自分であり、自分の思考が、外界に一致しているわけではない。
「アイスバーンの上を歩いても、ころばない」と明るいことを考えても、アイスバーンの上を歩いたほうが、滑りやすいということは、かわらないのである。アイスバーンのほうが摩擦係数がひくいから、滑りやすい。普通の道路のほうが、摩擦係数がたかいから滑りにくい。
この、物理的な現象に、自分の思考が、影響をあたえないのである。なので、自分の思考とは関係なく、摩擦係数がひくいほうが、滑りやすい。いつもいつも、アイスバーンの上を歩いている人は、ころびやすい。
たとえば、自分がアイスバーンの上を歩くか、普通のアスファルトの上を歩くか、選択できないとしよう。
その場合、「アイスバーンの上を歩くところんでしまう」と暗いことを考えたかどうかということは、ほんとうは、関係がない。
アイスバーンの上を歩くしかない人を、Aさんだとする。アスファルトの上を歩くしかない人をBさんだとする。当然、Aさんのほうが、ころびやすい。Aさんが「アイスバーンの上を歩くところんでしまう」と暗いことを考えたから、Aさんが、特別ころびやすくなって、ころんでしまうということではないのだ。
これは、条件によって決まってしまう。
けど、頻繁にころぶとなると、ころぶという経験がつみかさなることになる。あるいは、別の言い方をすると、ころぶという出来事がつみかさなることになる。
そうなると、アイスバーンの上を歩く期間中は、「ころぶ」という暗いことに考える機会が増えるのである。
なので、思霊主義者から見ると、「ころぶ」という暗いことを考えているから、ころんでしまうように、見えるのである。これは、思霊主義者の勘違いだ。
原因は、ほかにある。原因は、アイスバーンの摩擦係数が低いことだ。
アイスバーンの上を歩くという条件と、アスファルトの上を歩くという条件を無視してしまうと、あたかも、「ころぶ」という暗いことを考えている人のほうが、暗いことを考えているから、実際にころんでしまうように、「見える」のである。見えるだけ。条件を無視しているから、そういうふうに見えるだけ。
「ころぶ」という暗いことを考えずに、「ころばない」という明るいことを考えれば、アスファルトの上を歩いても、ころばないようになるかというと、ならない。
「ころぶ」という暗いことを考えなくても、アイスバーンの状態がかわらないなら、おなじ確率でころぶことになる。「ころぶ」という暗いことを、意識的に無視しても、アイスバーンの摩擦係数がかわらない。「ころぶ」ということを無視しても、条件がかわらなければ、おなじ確率でころぶ。
むしろ、「ころぶ」という暗いことを考えて、スパイクつがついた靴など、滑りにくい靴を履くという対策をしたほうが、ころぶ確率が低くなる。この場合は、条件がかわるのである。靴の条件がかわる。
あるいは、「ころぶ」という暗いことを考えて、注意して歩くという対策をしたほうが、ころぶ確率が低くなるかもしれない。これは、歩き方がかわるので、歩き方という条件がかわるということになる。
普通の靴(ずっと使っている靴)を使って、注意をせずに歩き、「ころぶ」という暗いことを無視したとしても、おなじ確率でころぶことになる。
自分の内なる世界から「ころぶ」という考えをなくしたとしても、条件がおなじなら、おなじ頻度で、ころぶことになるから、やはり、ころぶのである。
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思霊主義者には、自分の内的な世界が変化すれば、それに伴って、外的な世界が変化する(はずだ)という感覚が成り立っているのである。
これは、幼児的万能感がなせるわざだ。自分の内的な世界から、「ころぶ」という考えをなくせば、それに伴って、外的な世界でも「ころぶ」ということがなくなる……はずなのである。そういう考えにとらわれている。
しかし、自分の内的な世界から、「ころぶ」という考えを消去しても、アイスバーンの摩擦係数がかわるわけではないので、外界に変化が起こらず、おなじ頻度でころんでしまうということになる。
アイスバーンの摩擦係数は、アイスバーンによってちがうだろうけど、いちおう、アイスバーンというものを考えて、それは、一種類でかわらないものとする。
たとえ、アイスバーンの摩擦係数が、おのおののアイスバーンによってちがうとしても、すくなくても、「自分」の内面にあわせて、アイスバーンの摩擦係数が、かわるということがないのである。
自分の内面にあわせて、かわってくれればよいのだけど、そういうふうにはならない。
自分の内的な世界のなかから、暗いことを消去したとしても、外的なものがつくりだしている条件がかわらないなら、暗いことがおなじ頻度でおこって、暗いことを(現実世界から)消去できないのである。