どういう文脈の中で、 「できると言えばできる」という言葉が発せられるかということを考えることは、重要なことだ。
たとえば、ブラック社長が、名前だけ店長に、いままで通りに残業を続けることは可能だという意味で 「できると言えばできる」ということを言うのであれば、それは、「できる」と言って、残業を続けろ(それが、私があなたに望むことだ)ということを言っているのである。
「できると言えばできる」と「努力すればできる」は、別のことだ。
けど、ブラック社長のような言霊主義者の頭のなかでは、これが不可分にくっついているのである。
なので、相手が、ひとこと「できる」と言ってしまうと、「そうする努力」をすることを強いられてしまうのである。
労働時間外の労働をすることができるかどうかが問題になっているのである。
「できる」と言ってしまうと「時間外の労働すること」になってしまうのである。
「できる」と言ってしまうと、「努力すること」が必要になってしまうのである。普通の労働時間内の労働ではなくて、普通の労働時間外の労働をするということになってしまうのである。
「それが、できない」と名前だけ店長が、ブラック社長に言っているのである。
「いままで、そうしてきたけど、もう、つかれて、これ以上、サービス残業をすることはできない」と言っているのである。それに対する、ブラック社長の答えが「できると言えばできる」ということなのだ。こんなの、言葉のトリック。言語的な詐欺。
「できないと言う『から』できない。できると言えば、できる」……これが、ブラック社長の返事だ。けど、ほんとうに「できない」と言うから、できないのだろうか。
「もう、これ以上できないから、できない」と言っているだけなのではないか。これは、名前だけ店長が「もう限界だ」と判断して言っていることなのである。
ところが、ブラック社長は、相手の条件や相手の状態を考えることができない人間なのだ。言霊的な助言をする人は、ぼくの知っている限りでは、みんな、相手の条件を無視して言霊的な助言をしている。ほとんどの言霊主義者は、相手の条件を、ガン無視してしまう。
そりゃ、相手の条件を考える言霊主義者もいるかもしれないけど、数は少ないと思う。相手の条件を考えると言ったって、本人はじゅうぶんに相手の条件を考えているつもりでも、ほんとうは、相手の条件を軽く見ている場合が、あると思う。
多くの言霊主義者には、相手の条件を軽く考える傾向があると思う。多くの言霊主義者には、相手にとって、それがどれだけたいへんなこと無視してしまう傾向があると思う。ぼくの知っている範囲では、そういうふうに、みえる。