「言ったことが現実化する」「どんなことがあっても、楽しい楽しいと言えば楽しく感じる」「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」……こんな、妄想思考が正しい考え方として流通している。
これは問題だ。
けど、普通の人は、問題だと感じないのである。
正しいと考えている。
けど、これは、現実を無視している妄想的な考え方だ。はっきり言って、正しくない。
じゃあ、どうして、正しくない妄想的な考え方が、正しい現実的な考えたとして流通しているのか?
これは、やはり、洗脳の可能性がある。常に、そう思うように、誘導されてきたから、そういうふうに思っていると考えると、ある程度なっとくがいく。
これらは、けっきょく、ゴイムの道徳に通じることだ。これ、支配者側が、ゴイムの道徳としてあてがったものなのである。一見、正しいことのように思えるけど、それを信じると、他人に対してつめたくなるのである。
そして、労働への圧力をたかめる。これは、いい労働じゃなくて、悪い労働に対する圧力をたかめるのである。社会として、労働への圧力がたかまるのである。
社会という圧力容器のなかで、おしあいへしあう圧力が、たかまるのである。
「ダメ人間」生産装置なのである。
こういう考え方が、正しいこととして流通していると、「一番下」の圧力が並じゃないものになる。「一番下」にかかる圧力が、たかくなるということだ。
「言ったことが現実化する」「どんなことがあっても、楽しい楽しいと言えば楽しく感じる」「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」……これらの言葉は、条件の悪い人を「ダメ人間」にするための、一種の社会的な思考制御装置なのである。
「ダメ人間」というのは、ほかの人が、ある人のことをダメ人間だと思っているから、ダメ人間になるのである。ほかの人のなかで、ある人が、「ダメ人間」になる。
ただ単に、「条件が悪い人」なのかもしれないのに、これらの「文言(もんごん)」をとおすと、条件が悪い人が、かなりの確率で、「ダメ人間」になるのである。
そして、これは、「決まり」に対する従順性をうむのである。
まさしく、奴隷の道徳だ。
* * *
人をゴイムにすることに、協力するのはやめよう。
人をダメ人間にすることに、協力するのはやめよう。
どうすれば、やめることができるかというと、 「言ったことが現実化する」「どんなことがあっても、楽しい楽しいと言えば楽しく感じる」「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」……こういう言葉が正しいと思うのをやめればいい。
こういう言葉はまちがっているということを、正しく認識すれば、社会圧力をたかめることがなく、他人をダメ人間にすることもなくなる。
みんなで、くるしい奴隷社会をつくりだしているようなものなんだぞ。
いいかげん、気がつけ。