2024年1月18日木曜日

これは、言霊主義者がでたらめを言っているということを意味している

 自分が言わなかったことが、現実しかなかった場合については、自分が思っても、言わなかったことがあるかもしれないので、そのまま、自分が言わなかったことが現実しなかった場合という項目を書いたけど、自分が思わなかったことが現実化しなかった場合については、不定になる。

だって、自分が思わなかったことが、現実化しなかったとき、どうやって、現実化しなかったということを知覚・認識できるのかという問題がある。こんなの、項目としても、入れていいのかどうか、まよう。

自分の思いが、外面に反映するはずだという感覚は、幼児的万能感がもたらすものだ。

幼児的万能感にしたがえば「自分の内面に一致して、自分の外面(外界)が、動くべき」なのである。けど、これは、事実ではない。自分の内面に一致しないことが、自分の外面で、たくさん発生している。

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言ったことが現実化すると言うけど、自分が生まれるまえに、「生まれる」と言ったから、うまれるということが現実化したのかという問題がある。もちろん、言葉を知らない赤ん坊は「うまれる」と言うことができない。

自分が言わなくても、母親が言えば、「言ったことが現実化したことになる」と言霊主義者は言うけど、自分にとって母親というのは、他者だ。

言霊主義者の場合、ご都合主義なので、突然、他者が言ったことでも、言ったことが現実化するということを言い出すけど、ほんとうは、自分が言ったことが、外界で現実のものになるという意味で、「言ったことが現実化する」と言っているのだ。

他者が言ったことまで、現実化すると言うのであれば、見境なく、いろいろなことが発生するということになる。これは、自分が言わなかったことが発生する可能性があるということを意味している。

実際、自分が言わなかったのに、だれが他者が言ったので、その他者の言ったとおりになったというのは、自分にとっては、「言わなかったことが現実化した」ということになる。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。このふたりが、勝負をする予定があるとする。

結果の可能性としては、(一)Aさんが、勝つ (二)Bさんが勝つ (三)引き分けになる (四)勝負がおこなわれない という四つの可能性があるとする。この場合、試合続行不可能というような状態になった場合は、(三)の引き分けになるということにふくめるとする。

ともかく、この四つ以外の可能性がないとする。

まあ、じゃあ、五目として、四つ以外のことが起こるという項目を設けておこう。その場合、かならず、五つの項目のうちどれかになる。

自分がAさんが勝つと言った場合、普通の意味で、言霊思考というのは「自分が言ったことが、現実化する」ということだから、もちろん、Bさんが勝ったときは、言ったことが現実化しなかったということになる。

けど、Dさんが勝負のまえに、Bさんが勝つと言ったとしたら、「Bさんが言ったことが現実化した」ということになる。どんな場合でも、「だれかが言った」ということにすると、どんな結果が出も、「言ったことが現実化した」のだから、言霊理論は正しいはずだと(言霊主義者は)思うことになる。

けど、だれかが言ったということをどう証明するのか?

そして、こっちのほうが肝心なのだけど、どんな結果が出ても、だれかが言ったから、「言ったことが現実化するということは正しい」と主張するなら、「言ったことが、現実化する」と、わざわざ言う意味があるのかということになる。

そりゃ、なにが起こっても、「だれかが言ったから現実化したのだ」ということになれば、特に「自分が」言ったことが現実化するということについてのべなくてもいいことになる。

そして、「だれかが言った『から』現実化したのだ」と書いたけど、それはほんとうに、だれかが言ったから、現実化したのかという問題がしょうじる。

「Bさんが勝つ」とDさんが言ったから、Bさんが(言霊のすごい力で)勝ったのか?

Dさんの発言とは関係なく、Bさんが、勝ったのではないか。なんで、Dさんの発言が、そんなに大きな影響をあたえると考えるのだ。BさんがAさんよりも、いろいろな点ですぐれていたから、Bさんの実力で、Bさんが勝ったということにはならないのか?

Dさんの発言というのは、そんなにも力があることなのか。Dさんは、BさんともAさんとも関係がない、一個人だ。Bさんがどれだけ弱くても、Dさんがひとこと「Bさんが勝つ」と言えば、Bさんが勝ってしまうものなのか?

Dさんが「Bさんが勝つ」といった「あと」、Bさんが別の原因で勝ったのではないのか。Dさんが「Bさんが勝つ」と言ったということ、Bさんが勝つ原因になってないのではないか。

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AさんとBさんが試合をして、Aさんが勝つか、Bさんが勝つかどっちかになるという場合について考えてみよう。その場合、Eさんが、Aさんが勝つと言い、FさんがBさんが勝つと言ったとしよう。Bさんが勝って、Aさんが負けたとする。その場合、Eさんが言ったことは現実化しなかったということになる。まさに「言ったことが現実しかなかった」ということになる。「言ったことが現実化しない」場合もあるということになる。「言ったことが現実化する」と、どの口で言うのだ?

言ったことが現実化することもあるし、現実化しないこともある……。それなら、現実化しないこともあるのだから「言ったことが現実化する」とは言えない。これは、ほんとうは、言霊主義者が言う「言ったことが現実化する」というのは、「一〇〇%の言ったことが、一〇〇%現実化する」という意味なのだけど、言霊主義者が卑怯にも、「言ったことが現実化しない場合だってある」という意味を 「言ったことが現実化する」という言葉のなかにふくめているので、言霊主義者は、正反対の結果に遭遇しても、まったく矛盾を感じないのだ。

ある言霊主義者が「アバウトでいいんだ」と言ったことがある。「言ったことが現実化する」「言ったことが現実しかないときだって、ある」「アバウトでいいんだ」……と言っているのである。これは、言霊主義者がでたらめを言っているということを意味している。

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「言ったことが現実化する」→「言ったこととは、正反対のことが現実化する」→「言った通りになる場合もあるし、言ったと通りにならない場合だってある」→「言ったことが現実化する」→「アバウトでいいんだよ」

まあ、だいたいこんな流れになる。それから、「単純だから正しい」と言う。

ようするに、「言ったことが現実化する」という言霊理論は、単純なので正しいと言うのだ。これは、正しさにこだわてっいるということにはならないのか?

「言霊理論の矛盾を指摘したものは、正しさにこだわっているからダメなんだ」などと言うのだ。自分が、「単純なのが正しい」「言霊理論は単純だから正しい」と正しさにこだわりまくりなのに、なにを言うのか? まあ、実際には言霊主義者は「言霊は単純だから正しい」と言ってしまうのだけど、今回は、この問題については言及しない。

だいたい、「アバウト」という言い方にも、ごまかしがある。「アバウトなのが正しい」「こんなのは、アバウトでいいんだ」という意味で、言霊主義者が「アバウト」という言葉を使うのだけど、「アバウト」という言葉であらわされていることは、程度が、たいして、ちがわないということなのである。程度において、さしてちがいがない場合は、「アバウト」という表現でいいと思うけど、正反対のことが成り立っている場合は、「アバウト」という表現は不適切だ。

どれだけ、アバウトに言っても、言霊理論は正しくない。どれだけアバウトに言っても、言霊主義者の発言には矛盾したところがある。アバウトに言えば、「矛盾してない」ということにはならない。

この場合の「アバウト」という言葉は、矛盾を正当化するために使う言葉になっている。

どれだけでたらめなことを言っていても、アバウトに考えれば、正しいのである。言霊主義者はそういうふうに考えるのだろう。そのわりには、「言霊は絶対に正しい」「言霊は絶対だ」「言霊は宇宙をつらぬく絶対法則だ」などと言うのだ。「絶対に正しい」と言って、正しさにこだわっている。「アバウトでいい」ということは、「正しさにこだわらなくてもいい」ということだ……。……ある言霊主義者にとっては、そういうことだ。その言霊主義者が、正しさにこだわって「言霊は絶対に正しい」と言っているのだ。こういうところでも、矛盾しているなぁ。

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言っちゃ、悪いけど、「矛盾を指摘されても、でたらめなことを言い続ける」「自分は矛盾してないと思っている」ということころが、ほんのちょっとだけ似てるんだよなぁ。言霊主義者と、うちの親父やうちの兄貴は、そういう点で、ほんのちょっとだけ似ているところがある。どれだけ指摘されても、「矛盾」は頑固に無視。頑固に無視。頑固に無視。ずっと、矛盾したことを言い続ける。矛盾は、頑固に無視。矛盾は、頑固に無視。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。