2024年1月25日木曜日

言霊主義者は「相手」に対して、無礼な発言をしている。

 言霊主義者は「言った」という別の原因について考えてしまう。そして、「そうなったのは、言ったからだ」と別の原因について言及することになる。これは、ちゃんと理由があって、くるしい状態になっている人にとっては、屈辱的なことなのだ。ここのところは、言霊主義者にはわからないと思うけど、言霊主義者は、たいへん「失礼なこと」をしている。たとえば、有機水銀の接種で、水俣病になった人は、有機水銀を摂取したから、水俣病になったのだ。これがまあ、ぼくの言うところの「ちゃんとした理由」だ。有機水銀で水俣病になった人が、「くるしい」と言った場合、体内に入った有機水銀と体の働きによって、「くるしい」と感じる事態がしょうじて、「くるしい」と言っているわけだ。ところが、言霊主義者は、「くるしい」と言ったから、くるしくなったと判断してしまう。水俣病になってくるしいと言っているのに、「くるしい」と言ったから、くるしくなったのだと考えてしまう。水俣病ということを認めるなら、「くるしいと言ったから、くるしいと感じる水俣病になった」と思ってしまう。まあ、水俣病と言うことをはさまなくても、言霊主義者は、「水俣病になると言ったから、水俣病になった」と考えてしまう。「言ったことが現実化する」と考えているのだから、そう考えてしまう。けど、言ったからではなくて、水銀を摂取してしまったから、水俣病になったのだ。だから、そういう「ちゃんとした理由」を無視して、「言ったからそうなった」と断言してしまう。「相手」のことについて、そういう勘違いをして、「相手」のことについて、別の理由を考え出して、「別の理由でそうなった」と言ってしまうのだ。別の理由というのは、この場合「言った」ということだ。「相手が言った」ということだ。「水俣病になる」と、実際に水俣病になった人が言わなくても、言霊主義者の頭のなかでは、「現に、水俣病になっているなら、水俣病になると言った」ということになってしまう。だから、そういう意味でも、「勘違いしたこと」を言っていることになる。「言ったことが現実化する」と考えているので、水俣病になったなら、どこかで「水俣病になる」と言ったにちがいがないと考えてしまうのだ。「ちがいかない」と言うのは、強い推量であって、断定ではない。けど、言霊主義者にとっては、それは、断定だ。事実、「水俣病になる」とその人が言ったから、その人は、水俣病になったと考えてしまうのだ。こういう意味で、言霊主義者は、「相手」に対して、無礼なことをする。しかし、言霊主義者は、「言霊は絶対だ」「言霊は、宇宙をつらぬく絶対法則だ」と考えているので、自分がまちがったことを言っているとは思わない。無礼なことをしたとは思わないのだ。言霊主義者が、いま書いたような説明を読んでも、納得しない。「言霊は絶対に正しい」と言って、「言霊が正しい」ということにこだわる。実際には、言霊ではなくて、言霊理論が正しいということにこだわるのだけど、言霊主義者が、言霊と言霊理論を区別しないので、言霊に関する、言霊主義者の発言について言及する場合は、そのまま、書く場合もある。

言霊主義者は認めないと思うけど、言霊主義者は「相手」に対して、無礼な発言をしている。

*     *     *

水俣病の場合が、一番説明しやすいので、水俣病の場合について語ったけど、これは、別に水俣病の場合だけではなく、ほかのことにも成り立っている。きちがい的な理由で、こどもを虐待する父親がいたとする。この場合、子供側の人間が「父親が自分を虐待する」と言ったから、子供側の人間が実際に「虐待されたのだ」と考えてしまうのだ。言ったことが現実化すると、考えるので、そういうふう人が得てしまう。どこかで、子供側の人間が「きちがい的な理由で、父親に虐待される」と言ったから、実際に「虐待される」ということが発生したと考えしまうのだ。言霊理論にしたがえば、そうなる。けど、これはまちがっている。たとえ、子供側の人間が「きちがい的な理由で、父親に虐待される」と言ったって、親がまともな頭を搭載しているのであれば、その親がきちがい的な理由で子供を虐待することはない。言ったって、虐待されない。「虐待される」と言ったって、実際には、虐待されない。親がまともなら、子供側の人間がどれだけ「親に虐待される」と言ったって、虐待されない。逆に、親がきちがい的な理由で虐待するような人間なら、「親に虐待される」と言わなくても、虐待される。きちがい的な理由で虐待される。親が正常なら、「虐待される」と言ったって、虐待されないけど、親が異常なら「虐待される」と言わなくても、虐待される。この、「やられたほう」が「言った」ということが原因で、そうなったと考えるのは、この世のなかでは、「不自然な考え」なのだ。何度も言うけど、言霊主義者は、言った人の言ったという行為にしか注目してない。虐待というようなことを考えると、虐待したほうと、虐待されたほうの二者がいるということになる。ところが、言霊主義者は、虐待されたほうのせいにしてしまうのだ。どんな場合でも、「虐待したほう」の話は、言霊主義者の話のなかには出てこない。言霊主義者の話のなかには「虐待されたほう」しか出てこない。これは、現実の事象を考えるなら、「不自然」なことだ。こういう思考の偏りについて、言霊主義者は、まったく考えてない。

その人……という言葉を使うと、問題があるので、とりあえず、Aさんともう人がいるとする。Aさんの身の上に起こったことは、Aさんが、「言ったから」Aさんの身の上にしょうじたと、言霊主義者は考えてしまう。Aさんが赤ん坊で言葉を話せないときから、ずっと、Aさんが言ったからそうなったと考えてしまうのだ。自己というものを考えるなら、Aさんの身の上に起こったことは、Aさんのまわりの人とはまったく関係なく、Aさんの自己内の「言葉」によってしょうじたと、言霊主義者は考えてしまうのだ。「自己」しか考えてないのである。「自己」を中心とした、自己にかかわりのある人は、出てこない。原因としては出てこない。相互作用は一切合切ないのだ。Aさんの自己内のことだけが問題なのだと考えてしまうのだ……言霊主義者は。そういう意味で、言霊主義者と自己責任論の相性はいい。

 「他人」について考えている考えている場合でも、その他人というのは、「自己」だけで存在する他人なのだ。ようするに、「自己内」の言葉だけが問題なのだ。これが、問題だ。実際には、この世の事象というのは、「自己内」で生成したものだけではない。この世の事象というのは、外界の物質や外界の人間と「自己」との触れ合いによってしょうじる部分もある。ようするに、外界の物質や外界の人間と「自己」との関係によってうみだされてしまう出来事がある。ところが、言霊主義者の場合は、「自己内」ですべてが完結してしまうのだ。(注1)

まあ、そういう意味では言霊主義者と「すべては受け止め方の問題だ」というような意見との相性はいい。

*     *     *

けど、これも、言霊主義者が、「言霊思考」をしているときだけだ。言霊主義者は、現実的な生活のなかで、「言霊思考」をしない場合がある。

*     *     *

たとえば、母親が赤ん坊を抱いていたとしよう。ところが、母親が、赤ん坊を床に落としてしまったとしよう。その場合、「母親が、自分を床に落とす」と赤ん坊が言ったから「床に落ちた」わけではない。あるいは、赤ん坊が「落ちる」と言ったから「落ちる」ということが現実化したわけではない。ところが、言霊主義者は、そういうことなのだということを、言っているのだ。赤ん坊のほうが「落ちる」と言ったから、「落ちる」ということが現実化したと考えるのだ。「赤ん坊が、落ちると言ったから、言ったとおりになった」と言霊主義者者は考えるのだ。けど、その赤ん坊は、言ってない。母親が落とした。落とされたほうの赤ん坊は、「母親が、自分を床に落とす」は言ってない。言ってないのだから、現実化しないはずなのである……言霊理論にしたがえば……。

言葉を使えない者が、どうやって、言葉を使うのだ? 言葉をしゃべれないとしても、いろいろな出来事が発生している。そういうことから考えても、「言えば、言ったことが現実化する」という考え方は、まちがった考え方だ。 「言えば、言ったとおりになる」という考え方は、まちがった考え方だ。言わなくても、いろいろなことが発生している。「その人」が経験する「出来事」はその人が言った「出来事」だけではない。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。