ヘビメタ騒音以降のひとづきあいというのは、悲惨なものだ。あらそいのタネがある。あらそいのタネは、きちがいヘビメタ騒音だ。きちがいヘビメタ騒音の連続によってつくりだされた、ぼくの体調だ。睡眠不足だ。どれだけ、だるい体をひきずって、表面上はそれがわからないように、元気を出してふるまっているか? 限界がある。
どれだけきれいごとを言っても、ヘビメタ騒音が……日常のヘビメタ騒音が、体調に影響をあたえる。睡眠に影響をあたえる。どれだけきれいごとを言ったって……。
まわりの人というのは、全員、きちがい家族による、きちがい的な騒音にたたられて生きているわけではない。全員、きちがい的な家族による、毎日の、きちがい的な騒音を経験してない。経験してないで、まるで、言霊主義者のよなことを言うのだ。言霊主義者の認知と、ぼくの認知のあいだにどれだけでかいミゾがあるかということをずっと、語ってきた。そして、言霊主義者は、矛盾を指摘されたあとも、言霊理論が絶対に正しいと言ってゆずらないだろう。まさに、そういう関係だ。 きちがいヘビメタをやられると、言霊主義者に、なめられるのである。ごく自然に、「いやなこと」を言われるのである。きちがいヘビメタ騒音にやられると、……家族が鳴らすきちがい騒音にやられると……それが、決定してしまう。