暗いことを考えると暗いことが起こるということについて、ちょっとだけ言っておく。持続時間というものを考えなければならないのである。
たとえば、きちがい的な親が、常にきちがい的ないちゃもんをつけて、怒り狂うとする。
いやなことだ。
これは、きちがい的な親の頭が、そういうふうにできているから、そういうふうにしているだけで、子供側の人間には、これと言って落ち度がない。
つまり、「原因」はきちがい的な行為をするほうにある。きちがい的な親が生きている限り、きちがい的な親は、きちがい的な行為をするので、持続時間が長くなる。あるいは、持続期間が長くなる。
その場合、実際に「暗いことが起きている期間」と、実際に「暗いことを考える期間」が同時に進行することになる。その場合、外から見ると……あるいは、明るい思霊主義者から見ると、「暗いことを考えているから」「暗いことが発生する」ように見えるのである。
頻度ということについて言ったでしょ。
確率について言ったでしょ。
きちがい的な親がいるうちに生まれた場合、暗いことが起こる確率が(そうでない場合よりも)たかくなるのである。きちがい的な親が、きちがい的な理由で、いちゃもんをつけて虐待すれば、虐待されたほうは、暗い思いをすることになる。
不愉快な思いをすることになる。これは、きちがい的な親が、自動的につくりだしていることだ。
しかし、期間がかさなる。
期間がかさなると、あたかも、暗いことを考えるから、暗いことが発生するように見えてしまうのである。けど、暗いことを考えなくても、……子供側の人間が暗いことを考えなくても、きちがい的な親は、自動的にきちがい的な行為をするので、そのたびに、子供側の人間は暗い気持ちになるのである。
子供側の人間が暗い気持ちになる……。
きちがい的な親は、やり散らかしているだけで、自分のやっていることがわかってない状態なのだけど、怒り狂っていることはたしかだ。不満を爆発させているのである。いちゃもんをつけて、不満を爆発させている。
これは、たしかに明るい気持ちでできることではない。しかし、やられる側よりは、ストレスを発散できる。これは、ある意味、ポジティブにストレスを発散していることになる。
そして、本人は……きちがい行為をする本人は……きちがい行為について、いやな思いをするということがないのである。こまるのは、いつもやられているほうなのである。
やられた側がこまる。
きちがいが意地をとおすと、きちがいではなくて、きちがいにやられたほうが、どうしても、どうしても、不愉快な気持になるのだ。不愉快な気持になるということは、ようするに、暗いことが起こったということだ。
期間がかさなれば、不愉快なことを考えると、不快なことが起こっている……ように見える。これは、ただ単に、見えるだけだ。思霊主義の人や言霊主義の人は、「原因」について、勘違いをしているのである。自分が「明日は、晴れる」と思って晴れた。その場合、「自分が思ったので」実際に晴れたと思うのである。
ところが、自分の内面が、気象条件に影響をあたえたのではないのだ。自分の内面……自分の気持ちは、気象条件に影響をあたえなかった。自分が「明日は、晴れる」と思った「あと」晴れただけだ。まぐれあたりなのである。たまたま、晴れただけなのである。
そして、自分が「明日は、晴れる」と思ったのに、実際には雨がふった場合は、ガン無視してしまうのである。無視してしまうから「自分が思ったのに、そうならなかった」ということが記憶に残らない。
なので、自分が思ったことが「いつも」現実化していると思ってしまうのである。
ようするに、条件の無視や結果の無視は、自分の場合にも成り立っているのである。そして、あたった場合しか、記憶に残らないので、あるいは、印象に残らないので、「思ったことが現実化する」と思ってしまうのである。
それは、まちがった判断なのだけど、そういう印象が残るので、ほかの人のことについても、おなじやり方で判断してしまうのである。まったくもって、迷惑な話だ。