「言ったことが現実化する」ということを狂信している人が、そう思ってない人に、助言をしたってしかたがない。けど、そういうことが、おこなわれている。
これ……マウントして、助言をするほうは、いい気持になるかもしれないけど、マウントされて、助言されたほうは、まったくいい気持にならないのである。
けど、じゃあ、「いい気持にならない」ということを言えば、それは、「受け止め方の問題だ」といこうとになってしまう。マウントされて、助言されたほうの「受け止め方」が問題なんだということになってしまう。こういうことも、おこなわれている。
基本、この世界は、極端に悪い条件が成り立っている人には、生きにくい世界なのである。
まあ、生まれの格差ということを言えば、カルマ論が出てくる。「そういうところに生まれたのは、前世で悪いことをしたから、そういうところに生まれてくるしむことになったのだ」ということを狂信している人は、そういうことを言う。
カルマ論うんぬんということを言うのであれば、こういう行為自体がカルマをうみだしている。
こいつらは、狂信者だから、それに気がつかない。
極端に条件が悪い人に対して、普通の条件の人が、助言をしてもしかたがない。
普通の人が、経験せず、無視したことが、極端に条件が悪い人にとって、現実だからだ。
実際の出来事が生み出した「感じ方の総体」「体(身体)の総体」がある。
実際の出来事が生み出したのだから、実際の出来事が生み出したものだ。
ようするに、現実なのである。
そして、普通の条件の人は、条件が悪い人の「現実」を、無視するのである。
そして、「俺だって苦労した」「私だって苦労した」と同等の苦労を経験したということを言い出す。
こんなのはない。
同等の苦労なんて経験しているわけがないだろ。