たとえば、楽しいと言えば、楽しいと感じるかどうかという実験をするとする。そして、実験者が、被験者を、理由を言わずに、三発、なぐるのである。まず、三発、理由を説明せずになぐったあと、その実験者が「楽しいと言ってみてください」と言った場合、被験者は「楽しい」と言って、楽しく感じるのだろうか? 不当なあつかいについて、説明を求めたいという気持や、ただ単に腹がたつという気持に支配されているのではないだろうか。
実際には、こんな実験はできない。どうしてかというと、被験者の日常生活に影響をあたえるような実験はできないからだ。もっと簡単に言ってしまえば、非人道的な実験や非倫理的な実験はできないことになっている。なので、こういう実験はない。けど、「楽しい楽しいというと、楽しく感じる」「これは、心理学の実験でも証明されたことだ」などと言う人たちに対する注意をしておきたい。そういう実験は、中立的な状態での実験だということだ。直前の出来事に関係なく、「楽しい楽しい」と言えば楽しく感じるということにかんする、実験ではないのだ。そして、「これは、心理学の実験でも証明されたことだ」と言ってしまう人は、その人が、統計的な処理にかんしてまったくわかってないということを証明してしまっているのである。これに関しては、以前書いたので、ここでは、書かない。
「条件に関係なく、楽しい楽しいと言えば、楽しいと感じる」ということと「安全で、中立的な状態なら楽しい楽しいと言えば、楽しいと感じる」ということは、まったくちがうことなんだよ。ところが、こういうやつらは、「条件に関係なく、楽しい楽しいと言えば、楽しいと感じる」ということと「安全で、中立的な状態なら楽しい楽しいと言えば、楽しいと感じる」ということを、混同している。完全にごっちゃにしている。そして、混同しているということについて、まったく自覚がない。ほんとうに、こまったやつらだ。
直前の出来事ですら「楽しい楽しいと言えば、楽しく感じる」かどうかについて、影響をあたえているのに、どんな条件でも「楽しい楽しいと言えば、楽しく感じる」なんて、よく言えたものだな。なにも、わかってない。なにも、わかってないということがわかる。
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いちおう、話の土台として言及しておくけど、「楽しい楽しいと言えば、楽しく感じる」というのは「楽しい楽しいと言えば、(人間は)楽しく感じる」ということである。だれが楽しく感じるかということについて、特に言及してない場合は『人間は』ということになる。