あんまり、言いたくないけど、「こだわる」ということについて、語っておこう。
「こだわるからいけないんだ」と言う場合の「こだわる」ということだ。きちがい的な人は、「過去にこだわるから、影響が持続している」と考えてしまうのだ。
けど、それはちがう。
たとえば、過去のある時点で、カドミウムを摂取してしまったとしよう。そして、それよりもあとの時点で、イタイイタイ病になったとしよう。そして、現在、イタイイタイ病であるとする。
その場合、イタイイタイ病の人が、過去を無視して過去にこだわることをやめたとしても、症状が消失するということはない。けど、「過去にこだわるからダメなんだ」と思っている人は、過去にこだわることをやめれば、症状が消失すると思っているのである。
たとえば、Aさんが、イタイイタイ病だとする。Bさんが、精神世界の人だとする。BさんがAさんに「過去にこだわるからダメなんだ」「過去にこだわることをやめればいい」と言ったとしよう。
その場合、Aさんが、カドミウムを摂取したという過去の出来事にこだわらないようにしようとしても、あるいは、こだわらないことにしても、イタイイタイ病の症状がなくならない。
Bさんが、勝手に「Aさんが、カドミウムを摂取したという過去の出来事にこだわっているから、現在Aさんが、イタイイタイ病の症状でこまっている」と考えたから、Bさんがそういうふうに言っただけだ。Bさんの認識がまちがっているのである。
過去にこだわっているから、イタイイタイ病の症状でこまっているわけではないのだ。過去にこだわっているから、「イタイイタイ」と言っているわけではないのだ。
しかし、たとえば、Aさんが、カドミウムの接種にこだわっているからそういう症状が出るのだとBさんが考えていた場合、こだわりをなくせば、Aさんの症状が消失すると思っているのである。
カドミウムを摂取したことや、その結果イタイイタイ病になったということは、過去の出来事だ。そして、現在のいたみに影響をあたえている出来事だ。
ところが、過去を無視してポジティブなことを言えば、それで問題が解決すると、精神世界の人は思っている。「自分が条件を無視すれば、その条件は自分に影響をあたえない」というような幼稚な思考が成り立っているのである。精神世界の人の頭には成り立っている。
自分にとって不都合な過去の出来事は、自分が過去の出来事を無視すれば、(現在の状態に)影響をあたえないというような幼稚な思考が成り立っているのである。
自分というのは、自分自身、本人という意味だ。
「自分が条件を無視すれば、その条件は自分に影響をあたえない」と書いたけど、これは、簡単に他人にスライドする。どうしてかというと、自分がその他人の「過去」の影響をうけてないからだ。
たとえば、Bさんは、Aさんの過去の出来事の影響をけてない。
その過去の出来事というのは、たとえば、イタイイタイ病になったという過去の出来事だ。自分はいたくないのだから、いたくない。自分が影響をけていなければ、影響を簡単に無視できる。他人の出来事なんて、簡単に無視できる。
どうしてかというと、自分は「いたくもかゆくもない」からだ。Bさんには、カドミウムを(過去において)摂取して、今現在、いたいという現実がない。
しかし、たとえば、Aさんは、いたいので、過去の出来事を無視できない。
精神世界の人は、過去の出来事を無視する傾向があるけど、同時に、言霊主義者でもあるので、「いたいと言うからいたくなる」と言い出す。これも、ほんとうの原因を無視していることになる。
カドミウムを摂取したという過去の出来事が、現在のくるしみをうみだしているのに、カドミウムを摂取したという過去の出来事を「自分自身が」無視すれば、体内のカドミウムの影響がなくなるのである。
ようするに、Aさんには、影響をうける理由があるのに、BさんはAさんが影響をうける理由を無視して「そんなのは、関係がない。無視すれば、効力が消失する」と言うのである。「いたいと言うから、いたくなるんだ」「こだわりをなくせば、いたくなくなる」と言うのである。
この、「こだわりをなくす」という表現ものすごく、やっかいな表現なのだ。
Aさんが、「いたいいたい」と言えば、Aさんがいたさにこだわっているように、精神世界の人からは、見えるのである。カドミウムを摂取してしまった過去の出来事について、Aさんが頻繁に話すと、Aさんが、カドミウムを摂取してしまったという過去の出来事にこだわっているように、見えるのである。
なので、精神世界の人は、「Aさんが過去の出来事にこだわっているから、そのまま、いたいのだ」と考えてしまう。なので、精神世界の人は、過去の出来事にこだわらないようにすれば、影響を打ち消すことができるはずだと考えてしまうのである。
ところが、「こだわらないようにしても」物理的な法則にしたがって、カドミウムはからだに影響をあたえる。なので、精神的に、カドミウムのことを無視したとしても、体内にあるカドミウムは、物理的な法則にしたがって、影響を与え続ける。
そういうことを、妄想的な考えで否定してしまうのである。「思ったことが現実化する」「言ったことが現実化する」「こだわらなければ、影響がなくなる」というような、幼稚な思考をしてしまうのである。
実際にいたいかどうかは、こだわるかどうかで決まってしまうのである。
過去の出来事にこだわると、いたくなるのである。こだわらなければ、いたくならないのである……。精神世界の人はそういうふうに、物理的な法則を無視して、超自然的な法則について考えてしまうのである。
「自分なるもの」が無視すれば、「それ」は効力を失うのである。「自分なるもの」がこだわっているから、「それ」は効力を発揮するのである……。
こういうことも、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」というような思考方法と似ている。
自分の気持ちのほうが、物理法則よりも、有力なのである。そういう幼児的万能感があるのである。物理法則にしたがって、イタイイタイ病の人は、いたくなっている。
けど、自分の気持ちをかえれば、そんなのは、いくらでもかえることができる……と、精神世界の人は考えてしまうのである。だから、物理法則の結果「いたさを感じている人」にも、物理法則を無視して、「過去の出来事を無視すれば、いたさがなくなる」というようなことを言ってしまう。
こだわっているからダメなんだと言ってしまう。
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