2023年12月20日水曜日

こだわっているからダメなんだと言ってしまう

 あんまり、言いたくないけど、「こだわる」ということについて、語っておこう。

「こだわるからいけないんだ」と言う場合の「こだわる」ということだ。きちがい的な人は、「過去にこだわるから、影響が持続している」と考えてしまうのだ。

けど、それはちがう。

たとえば、過去のある時点で、カドミウムを摂取してしまったとしよう。そして、それよりもあとの時点で、イタイイタイ病になったとしよう。そして、現在、イタイイタイ病であるとする。

その場合、イタイイタイ病の人が、過去を無視して過去にこだわることをやめたとしても、症状が消失するということはない。けど、「過去にこだわるからダメなんだ」と思っている人は、過去にこだわることをやめれば、症状が消失すると思っているのである。

たとえば、Aさんが、イタイイタイ病だとする。Bさんが、精神世界の人だとする。BさんがAさんに「過去にこだわるからダメなんだ」「過去にこだわることをやめればいい」と言ったとしよう。

その場合、Aさんが、カドミウムを摂取したという過去の出来事にこだわらないようにしようとしても、あるいは、こだわらないことにしても、イタイイタイ病の症状がなくならない。

Bさんが、勝手に「Aさんが、カドミウムを摂取したという過去の出来事にこだわっているから、現在Aさんが、イタイイタイ病の症状でこまっている」と考えたから、Bさんがそういうふうに言っただけだ。Bさんの認識がまちがっているのである。

過去にこだわっているから、イタイイタイ病の症状でこまっているわけではないのだ。過去にこだわっているから、「イタイイタイ」と言っているわけではないのだ。

しかし、たとえば、Aさんが、カドミウムの接種にこだわっているからそういう症状が出るのだとBさんが考えていた場合、こだわりをなくせば、Aさんの症状が消失すると思っているのである。

カドミウムを摂取したことや、その結果イタイイタイ病になったということは、過去の出来事だ。そして、現在のいたみに影響をあたえている出来事だ。

ところが、過去を無視してポジティブなことを言えば、それで問題が解決すると、精神世界の人は思っている。「自分が条件を無視すれば、その条件は自分に影響をあたえない」というような幼稚な思考が成り立っているのである。精神世界の人の頭には成り立っている。

自分にとって不都合な過去の出来事は、自分が過去の出来事を無視すれば、(現在の状態に)影響をあたえないというような幼稚な思考が成り立っているのである。

自分というのは、自分自身、本人という意味だ。

「自分が条件を無視すれば、その条件は自分に影響をあたえない」と書いたけど、これは、簡単に他人にスライドする。どうしてかというと、自分がその他人の「過去」の影響をうけてないからだ。

たとえば、Bさんは、Aさんの過去の出来事の影響をけてない。

その過去の出来事というのは、たとえば、イタイイタイ病になったという過去の出来事だ。自分はいたくないのだから、いたくない。自分が影響をけていなければ、影響を簡単に無視できる。他人の出来事なんて、簡単に無視できる。

どうしてかというと、自分は「いたくもかゆくもない」からだ。Bさんには、カドミウムを(過去において)摂取して、今現在、いたいという現実がない。

しかし、たとえば、Aさんは、いたいので、過去の出来事を無視できない。

精神世界の人は、過去の出来事を無視する傾向があるけど、同時に、言霊主義者でもあるので、「いたいと言うからいたくなる」と言い出す。これも、ほんとうの原因を無視していることになる。

カドミウムを摂取したという過去の出来事が、現在のくるしみをうみだしているのに、カドミウムを摂取したという過去の出来事を「自分自身が」無視すれば、体内のカドミウムの影響がなくなるのである。

ようするに、Aさんには、影響をうける理由があるのに、BさんはAさんが影響をうける理由を無視して「そんなのは、関係がない。無視すれば、効力が消失する」と言うのである。「いたいと言うから、いたくなるんだ」「こだわりをなくせば、いたくなくなる」と言うのである。

この、「こだわりをなくす」という表現ものすごく、やっかいな表現なのだ。

Aさんが、「いたいいたい」と言えば、Aさんがいたさにこだわっているように、精神世界の人からは、見えるのである。カドミウムを摂取してしまった過去の出来事について、Aさんが頻繁に話すと、Aさんが、カドミウムを摂取してしまったという過去の出来事にこだわっているように、見えるのである。

なので、精神世界の人は、「Aさんが過去の出来事にこだわっているから、そのまま、いたいのだ」と考えてしまう。なので、精神世界の人は、過去の出来事にこだわらないようにすれば、影響を打ち消すことができるはずだと考えてしまうのである。

ところが、「こだわらないようにしても」物理的な法則にしたがって、カドミウムはからだに影響をあたえる。なので、精神的に、カドミウムのことを無視したとしても、体内にあるカドミウムは、物理的な法則にしたがって、影響を与え続ける。

そういうことを、妄想的な考えで否定してしまうのである。「思ったことが現実化する」「言ったことが現実化する」「こだわらなければ、影響がなくなる」というような、幼稚な思考をしてしまうのである。

実際にいたいかどうかは、こだわるかどうかで決まってしまうのである。

過去の出来事にこだわると、いたくなるのである。こだわらなければ、いたくならないのである……。精神世界の人はそういうふうに、物理的な法則を無視して、超自然的な法則について考えてしまうのである。

「自分なるもの」が無視すれば、「それ」は効力を失うのである。「自分なるもの」がこだわっているから、「それ」は効力を発揮するのである……。

こういうことも、「明るいことを考えれば明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」というような思考方法と似ている。

自分の気持ちのほうが、物理法則よりも、有力なのである。そういう幼児的万能感があるのである。物理法則にしたがって、イタイイタイ病の人は、いたくなっている。

けど、自分の気持ちをかえれば、そんなのは、いくらでもかえることができる……と、精神世界の人は考えてしまうのである。だから、物理法則の結果「いたさを感じている人」にも、物理法則を無視して、「過去の出来事を無視すれば、いたさがなくなる」というようなことを言ってしまう。

こだわっているからダメなんだと言ってしまう。

*     *     *

「自分の気持ちのほうが、物理法則よりも、有力なのである」と書いたけど、もちろん、精神世界の人にとっては、自分の気持ちのほうが、物理法則よりも、有力なのであるということだ。こころの持ちようで、世界が(かわったように)見えるということではなくて、ほんとうに、こころの持ちようで、物理的な世界がかわるのである。彼らのなかでは、そうだ。自分の「気持ち」が、外的な世界に、直接影響をあたえるのである。これは、比喩的な意味で、「世界がかわったように」見えるということではない。精神世界の人にとっては、ほんとうに、物理的に世界がかわるのである。たとえば、体内のカドミウムを無視すれば、体内のカドミウムの働きがなくなるのである。主体は、「自分自身」「自分というもの」なので、観念のなかでは、「他人」にスライドする。ようするに、この場合の自分というのは、「ひと」という意味なのである。自分もそうだし、他人もそうだと、頭のなかでは、考えてしまうのである。この「自分自身」というのは、物理法則を書き換えてしまうような、すごいチカラをもっている「自分自身」なのである。ようするに、神のような力をもっているような自分自身であり、物理法則を書き換えることができる自分自身なのである。しかし、そういうふうに、頭の中で思っているだけで、実際には、物理法則を書き換えることができない。だから、自分だって、カドミウムを相当量摂取してしまえば、イタイと感じて、イタイと言うのに、そういうことになるということが、ぜんぜんわかってないということになる。自分は、今現在、カドミウムの影響をうけてないので、影響がない状態なのである。なので、幼児的万能感が前面に出て、「自分の気持ちこそ」が世界を改変できると言ってしまうのである。この世界の改変というのは、超物理的な力を自分が使えるということなのである。ようするに、魔法のように、自分が、体内のカドミウムを無視すれば、体内のカドミウムが消失してしまうと考えているのである。物理法則を無視して、あるいは、超物理的な法則によって(つまり、魔法の力によって)自分が、カドミウムの効力を無視すれば、カドミウムの効力は消失するのである。そういう、幼児的万能感が、そういう人たちのなかには、あるのである。そういう幼児的万能感にささえられた発言なのである。あたかも自分は、影響をうけないことが可能だというような態度で、「こだわっているからダメなんだ」と、言ってしまう。精神世界の人は、他人に「こだわっているからダメなんだ」と、言ってしまう。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。