たとえばの話だけど、「楽しいと言えば楽しくなる」なんて言っている人のなかには、本当の苦労をした人はいない。その人がどれだけ「俺だって苦労した」と言ったって、そんなの、「楽しいと言えば楽しくなる」なんて言えるぐらいの苦労なんだよ。それが、わかる。けど、「楽しいと言えば楽しくなる」なんて言っている人が「俺だって苦労した」「俺だって苦労した」「俺だって苦労した」と言う。本人は、それが、本当の苦労だと思っている。けど、「楽しいと言えば楽しくなる」なんてことを信じられるということ自体が、その人の苦労が、本当の苦労ではないということを、物語っている。
おなじように「元気だ、元気だと言えば、元気になる」なんてことを、本当に信じて言っている人のなかには、本当のつかれを知っている人がいない。ほんとうのつかれを知っている人は、そんなことは言わない。どうしてかというと、本当につかれた状態で、どれだけ「元気だ、元気だ」と言っても、元気にならないことを知っているからだ。
「俺だって苦労した」と言うけど、そんな苦労は、言霊を信じることができるぐらいの「苦労」なんだよ。いみなーーい。いみーーなーーい。