「口癖が人生をつくる」というようなことを言う人がいるけど、この人も、因果関係を見誤っている。
たとえば、ブラック社長のもとで働いている名前だけ店長の口癖が、「つらい」というものだったとする。名前だけ店長の口癖がつらい」というものだから、名前だけ店長は、つらい状態になっているということを言っているのだ。
ちがう。
たとえば、入社一年目の名前だけ店長と、入社一五年目の名前だけ店長の、つかれ方がちがうのである。入社一日目には、「つらい」とは言ってなかったかもしれない。言ってなかったとしよう。
けど、きちがい的なブラック社長の指導で、長時間労働が毎日続いたので、「つらくなった」のだ。毎日のつかれがとれない状態で、次の日の労働に駆り出されるので、つらいと思うようになったのだ。
つらいと思った、名前だけ店長が「つらい」と思わずつ、つぶやく。それを見た……「口癖が人生をつくる」と考える人が……「つらい」と言うから「つらくなる」と思っただけなのだ。 「口癖が人生をつくる」と考えている人のことを、以降、口癖教徒とよぶことにする。
「口癖が人生をつくる」というのは、「言霊」の一種だ。口癖というのは、ある言葉の繰り返しに、注目したものだ。毎日、何回か言っていることは、口癖ということになる。
ところで、生まれの条件が、人によってちがう。
だから、きちがい的な親のもとに生まれた子供は、つらい思いをすることになっている。不愉快な思いをすることになっている。そして、親との生活は、継続的に続くことなので、「つらい」とつぶやくようになる。
まず、つらい生活が成り立ったあと、「つらい」という「口癖」ができあがるのだ。それを逆手にとって、「つらい」と毎日言うから、つらい生活になっていると決めつけてしまう。因果関係を逆にして、真理を言ったつもりになっているだけだ。じつは、真理じゃなくて、大まちがい。こういう人が多い。
たとえば、水俣病になった人がいるとする。その人は、あるとき継続的に汚染魚を食べたから、水俣病になった。のちに水俣病とよばれる病気の症状が発生した。体に有機水銀がはいると、「つらい」と感じるようになる。なので、つらいと言う。毎日ずっとつらいのだから、「つらい」という言葉が、口癖になる。それを、つらいという口癖が、その「つらい状態」をつくりだしていると考えるのが、「口癖が人生をつくる」と考えている人だ。
順番が逆になっている。
さらに、水俣病の人が、「つらい」と言うことをやめたとしよう。言霊教徒の影響をうけて、「そんなものかな」と思って「つらい」と言うことをやめたとしよう。そのとき、どうなるか? 水銀によってつくりだされるつらさが、なくなるか? 軽減するか? 軽減すらしない。ようするに、「つらい」と言わなくなっただけ、だ。けど、くるしさは持続するので、「つらい」と思うことがある。それは、人間のからだを使って生きているのだから、そうなる。神経を遮断すれば、つらさはなくなるかもしれないけど、問題は、残り続ける。
口癖教徒が、ほかの人におしつけていることは、「我慢」だ。原因をまちがって、口癖を原因だと思っているだけだ。口癖教徒が、ほかの人の不幸について、その原因を、まちがって理解しているだけなのだ。口癖をやめたとしても、原因は、残り続ける。ほんとうの原因に対処しないと、「つらい」と「言わなくてもすむ」生活にならない。
つらい人がほんとうに求めていることは、「つらい」と口癖のように言わなくてもすむ、生活だ。環境だ。その生活をつくっている、本当の原因は、「口癖」ではない。口癖教徒が、幼児的万能感にしたがって、勘違いをしているだけだ。
名前だけ店長が、「つらい」と口にしたとする。それは、一日に二時間しか眠れないような状態で生活しているからだ。もっと眠れるようにすれば、「つらさ」が軽減され、自然に「つらい」という言葉をつぶやかなくてもいい状態になる。
「つらい」と言うからダメなんだと言われた、名前だけ店長が、「つらい」と言うことをあきらめて、「つらい」と言わなかったとしても、一日に一日に二時間しか眠れないような生活が続くなら、やはり、つらいままなのだ。
こころのなかで「つらい」とつぶやく日々が続くことになる。
まったく、問題解決になってない。
口癖教徒のやっていることは、名前だけ店長から、つらいという言葉をうばうということだ。
つらいのに、つらいと言えなくなったら、もっとつらくなるだろう。言葉狩りをしたって、問題は解決しない。
問題は、一日に二時間しか眠れないような生活を続けていることなのである。「つらい」と口癖のように言うことではない。口癖が原因なのではなくて、睡眠不足と過労が原因なのだ。ほんとうの原因がなくならないのに、「つらい」ということだけ禁止したとしても、意味がない。