まったく、暗いことを考えていなかったにもかかわらず、暗いことが発生してしまうことはある。
たとえば、ヘビメタ騒音が、そういうもののうちの、ひとつだ。ぼくは、きちがいヘビメタ騒音がものすごい音で鳴りだすとは、考えていなかったのだ。ところが、ある日、きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音道具を買って、それまで聞いたことがない、騒音を鳴らしだした。これは、別に「いつか、ヘビメタ騒音でくるしむだろう」とぼくが考えていたから発生したことじゃない。
水俣病についても、「俺はいつか、汚染魚を食べて、水俣病になってしまうだろう」と考えていたから、水俣病になったのではないのだ。こういうことについて、思霊主義者は、「かんちがい」をしている。せーーだいな「かんちがい」だ。
こういう、決めつけ自体が、よくないのである。
だいたい、汚染魚を食べている時点では、水俣病という言葉はない。「(俺は将来)水俣病になる」と考えることができない。きちがい兄貴が、ヘビメタを鳴らすまでは、ぼくだって、「ヘビメタ」という音楽の分野があるということを知らなかった。あのいやな音の集合について、知らなかったのである。ヘビメタというのは、俺にとって「無視できない」「ものすごくいやな音」をかき集めたような音楽なのだ。
ぼくが「いつか、ぼくは、ヘビメタ騒音にやられて、くるしむことになる」「いつか、ぼくはヘビメタ騒音でくるしむことになる」と、まったくヘビメタについて知らないときに、思ったから、実際にヘビメタ騒音が鳴りだしたわけではない。思ったから、実際にヘビメタ騒音が鳴りだしたということではないのである。
思霊主義者というのは、「原因」について勘違いしているのである。そして、勘違いしていることを、認めない。どうしてかというと、「思ったことが現実化する」とつよく思っているので、原因は、すべて「思ったこと」になってしまうのである。
過去のある時点で、「こうなる」と思ったから、「こうなった」と考えてしまうのである。それ以外の理由を、認めようとしない。本人が本人のことについてだけ語っている場合は、それでもいいけど、本人が「ほかの人」のことについて語っている場合は、よくない。
どうしてかというと、原因について、考え違いをしているからだ。まちがった原因を考えて、「考えたからそうなった」と言って、ほかの人をせめているからだ。
こんなの、ほんとうは、ひどいことだ。
そりゃ、やられたほうは、気分が悪くなる。不愉快な気持になる。